医療や福祉の現場は、「いじめが一番多いのに、もっとも対策が行われていない」業界だといいます。9年連続で職場いじめ相談がもっとも多く、2番目に多い業界との差は約2倍。さらに7割以上の職場がパワハラ対策に講じていないなど、その問題は根深いようです。ハラスメント対策専門家である坂倉昇平氏の著書『大人のいじめ』(講談社)より、実例とともに紹介します。
同僚のからかいがいじめの引き金に
Aさんは、社会福祉法人が経営する、園児数が100人を超える認可保育園で1年更新のパートタイム保育士として働いていた。これまで、自身の子育て期間を挟んで10年以上保育士として経験を重ねてきた。
Aさんは、同僚からいじめを受けていた。発端は、同じ非常勤保育士のBさんの行為だった。Bさんは、Aさんの名前をもじって、小学生のようなからかいをしていた。Aさんは不愉快だったが、対立するのは良くないと思い、Bさんに頭を下げて、やめてほしいと頼んだ。するとBさんは、「どう呼んだって勝手でしょ」「指図してるよね」と逆に怒り始めた。
実はBさんはふだんから、園の掃除や消毒をサボっており、「こんな仕事はうんざり」などと言って、園長が見ていないときは、ずっと別の部屋で休憩しながらお喋りしており、そのフォローをAさんがしている状態だった。そのことを園長や主任に伝えても、指導が行われることはなかった。Bさんは真面目なAさんを疎ましく思っていたようだった。
その裏には、この保育園の構造的な問題があった。園長や正社員の保育士は、非正規雇用の保育士を一段下に見ており、見下されている非正規の保育士は、同じ立場の保育士にストレスをぶつけるしかなかったのだ。この園では、非正規のみがトイレ掃除やコロナウイルス感染対策のための消毒をさせられていたが、園長は「正社員を守らなきゃいけないから」とこれを正当化していた。
また、子どもたちの前でも、正社員は「先生」と呼ばれるが、非常勤の保育士は「さん」付けで呼ぶことが徹底されていた。非正規の保育士を、対等に扱うつもりは初めからない保育園だったのだ。
Aさんから呼び方について指摘されたことを、Bさんが園長に報告したらしく、Aさんは園長に呼び出された。園長の発言は意外なものだった。「誰がどう呼んだっていいじゃない。被害とか加害とか、私そういうの嫌いなのよ。あなたの方が“要求”してるじゃない」
園長は、非正規同士の「いさかい」などには関心がなく、むしろAさんの方がトラブルの元凶だという口ぶりだった。
それどころか、園長は「あなたこの職業向いているの? 他を探した方がいいんじゃない?」と、Aさんが保育士失格であるかのような発言までした。
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園長の「お咎めなし」が園内にもたらした“地獄”
その後、園長からBさんが「お咎めなし」だったことを合図とするかのように、Aさんに対するいじめは、同僚の保育士全体に広がった。
Aさんの靴箱の名札が剝がされたり、泣いている園児をあやすために持ってきていた私物の人形がなくなったり、手作りした園児の名札もゴミ箱に捨てられたりした。犯人は誰かわからない。
園の全クラスを束ねる主任の保育士も、Aさんにだけ、資料を締め切りが迫るまで配付しないことや、行事の計画表を渡さないなど、情報を流してくれないことがあった。「Bさんに名前の呼び方で馬鹿にされるのがつらいです」と主任に相談したところ、次の日、Aさんの翌月の勤務表が真っ白に塗りつぶされ、シフトが抹消されていた。
断っておくと、同じ非正規のBさんが職場で力があるとか、会社の上層部にコネがあるというわけではない。
単に、自分がからかわれたり、同僚が怠けていたりするくらいで、わざわざ「いざこざ」を起こす非正規職員のAさんの方が、園にとっては「問題人物」であり、結果、みんなのストレスの「はけ口」として、あるいは追い出すべき「邪魔者」として、「いじめても良い存在」になってしまったのだ。