2013年~2015年に国が生活保護の基準額の引き下げを行ったことが、厚生労働大臣の裁量の逸脱濫用、生存権の侵害にあたり違法違憲であるとして、埼玉県在住の受給者らが減額処分の取り消しなどを求めた訴訟の控訴審の第1回口頭弁論が9日、東京高裁で開かれた。
一審のさいたま地裁の判決(2023年3月29日)は、原告23人に対する減額処分を取り消す一方、国家賠償請求は認めなかった。これに対し、原告と被告(国)の双方が控訴。その後、7回にわたり審理の充実を目的とする「進行協議期日」(※)が行われたのち、1回の口頭弁論で原告・被告がそれぞれ意見陳述を行い、結審した。判決は3月28日に言い渡される。
なお、本件以外にも全国で同種の訴訟が提起されており、地裁レベルでは18件で原告が勝訴している(11件で原告敗訴)。これに対し高裁レベルでは判決が4件で言い渡され、名古屋高裁では原告が勝訴した(減額処分の取り消しに加え国家賠償請求も認容)一方で、大阪高裁(2件)と仙台高裁では原告が敗訴している。
※口頭弁論の期日外で、当事者の立ち合いの下、審理の充実を目的として、口頭弁論における証拠調べと争点との関係の確認その他訴訟の進行について協議する手続き(民事訴訟規則95条~98条)
争点は厚生労働大臣の「行政裁量」の適否
本件訴訟の争点は、基準額引き下げの根拠とされた「デフレ調整」(物価下落分の調整)と、「ゆがみ調整」(従来の基準額と消費実態のかい離の解消)の適法性。その判断において、行政の「裁量」がどこまで認められるかというものである。
前提として、生活保護法8条2項は保護費の額について、「要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、かつ、これをこえないものでなければならない」と定めている。
これを「需要充足原則」という。
政府は、保護費の基準額を引き下げる数値的な裏付けとして「ゆがみ調整」と「デフレ調整」を行った。それが「需要充足原則」に合致したものかどうかが争われている。
「ゆがみ調整」は、2013年(平成25年)検証の結果で示された生活扶助基準額と、最も所得の低いグループの世帯である「第1・十分位世帯」の消費支出のかい離率の2分の1を反映したもの(以下「2分の1処理」)。
また、「デフレ調整」は総務省が公表している消費者物価指数を基に、そのうち生活扶助に関係する「生活扶助相当品目」を対象とする指数(以下、「生活扶助相当CPI」)の動向を考慮するもの。
なお、基準額引き下げは2013年~2015年に段階的に実施され、改定前基準からの増減幅が±10%を超えないようにする「激変緩和措置」がとられた。
結審後に報告集会が開かれた(1月9日 東京都千代田区/弁護士JP編集部)
原告側は「裁量違反」を主張
原告側は「ゆがみ調整」「デフレ調整」のそれぞれに対し、以下の問題点を指摘している(詳細は一審判決(さいたま地裁令和5年(2023年)3月29日判決)の判決文参照)。
【ゆがみ調整】
①「ゆがみ調整」の手法に問題があり、判断過程の説明内容に誤りがある
②「ゆがみ調整」は本来、「第1・十分位世帯」のうち「生活保護受給世帯」と「それ以外」とを比較して行うべきだが、厚生労働大臣は「生活保護受給世帯」と「全体」とを比較している(【図表】参照)。
③「ゆがみ調整」で用いた回帰分析に「決定係数が著しく低い」「統計学検定の結果の無視」「結果の適正化のための検討の不備」等の不備がある
④「ゆがみ調整」で一律に「2分の1処理」をしたことが不合理である
【デフレ調整】
①「デフレ調整」の採用について専門家による分析・検証がなされなかった
②「デフレ調整」で前提とされた「生活扶助相当CPI」はエコポイント、地デジ移行に備えた需要増加等の特殊事情があった2010年(平成22年)の数値であり、統計上の正当性がない
③「生活扶助相当CPI」の算式が不合理である(学説上の裏付けがない等)
④「生活扶助相当CPI」の始期の選択が不合理である
⑤比較時点の選択が恣意的である
⑥「生活扶助相当CPI」によって算出された物価の変動率が生活保護受給世帯の可処分所得に影響するとはいえない
原告は、このような「ゆがみ調整」「デフレ調整」の問題点の指摘のほか、「『ゆがみ調整』と『デフレ調整』」を併せて行ったことの違法性」「激変緩和措置の不合理性」なども主張している。
そして、裁判所に対し、厚生労働大臣が生活保護法8条2項の定める「需要充足原則」に従って適正な判断を行った否かについて、「統計等の客観的な数値との合理的関連性」の審査や「専門的知見との整合性」の審査を的確に行うことを求めている。
原告の主張は「判例の判断枠組み」に沿ったもの
以上の原告の主張は、いずれも、判断資料・判断方法の取捨選択等の過程に問題があったという指摘である。これは、近年、行政事件において最高裁をはじめとする裁判所が多く採用している「判断過程審査」の枠組みに則ったものといえる。
判断過程審査は一般に、以下の通り、行政の判断の過程に着目し審査する手法である。
ⅰ)処分の前提となった事実の認識、または評価に重大な誤りがないか
ⅱ)考慮すべき事項を考慮しているか
ⅲ)考慮すべきでない事項を考慮していないか
本件のリーディングケースと考えられる、生活扶助の「老齢加算」の廃止の適否が争われた「老齢加算訴訟」の最高裁判決(平成24年(2012年)2月28日判決)も、以下の通り、この判断枠組みを採用している(結論としては「適法」とされた)。
「最低限度の生活の具体化に係る判断の過程及び手続における過誤、欠落の有無等の観点からみて裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があると認められる場合(中略)に、生活保護法3条、8条2項の規定に違反し、違法となるものというべきである」
この「判断過程審査」は、行政の「裁量」が一定程度認められることを前提として、それでもなお「裁量がおかしい」といわざるを得ないケースを定式化したものといえる。
行政の専門技術的な裁量を尊重しつつ、国民の権利救済の観点から歯止めをかけることのできる判断手法として、行政活動一般に対し用いられている。
現に、原告が勝訴した一審では、原告側も被告側も、この「判断過程審査」の枠組みを前提として主張立証を組み立てていたことがうかがわれる。
被告(国)側が急に持ち出した「朝日訴訟最高裁判決」の「傍論」
しかし、9日に開かれた控訴審の口頭弁論では、被告(国)側は、「朝日訴訟最高裁判決」(最高裁昭和42年(1967年)5月24日判決)の「傍論」が示した基準を挙げ、本件では「判断過程審査」の手法を用いるべきではないと主張した。
朝日訴訟最高裁判決は、原告が死亡したことにより訴訟が終了したことを宣言する内容だったが、最高裁判所は「なお、念のため」として、「傍論」で生活保護の基準の適否について以下の意見を記載している。
「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあっても、直ちに違法の問題を生ずることはない。
ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によって与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となる」
国側はこれを引用したうえで、「老齢加算訴訟」の最高裁判決(平成24年(2012年)2月28日判決)が「判断過程審査」を用いたのは「老齢加算という特殊の既得権的性質を有するものを永続的に廃止する事案についての事例判断を示したものにとどまる」とする(被告の準備書面参照)。
これに対し、原告代理人の鴨田譲弁護士は、「本件について、ことさらに判断過程審査を排除するのは不合理」と批判した。
鴨田譲弁護士(1月9日 東京都千代田区/弁護士JP編集部)
鴨田弁護士:「『既得権的性質』というならば、従来の基準額を減額することも、生活保護費が一部なくなるという点で同じだ。
仮に違いがあったとしても、本件で判断過程審査を使わなくてよい理由にはならない。
なぜなら、そもそも判断過程審査は、行政側の裁量の恣意的な行使から国民の権利利益を救済するための判断手法だからだ。生活保護を含め行政活動一般について妥当する。老齢加算の事例判断に限定される理由はない。
しかも、判断過程審査の適用を否定して、『だから朝日訴訟の基準を用いるべき』というのは論理の飛躍だ」
行政の行為の適法・違法を「事後的な検証」で正当化できるか?
さらに、国側は、仮に判断過程審査を用いたとしても、厚生労働大臣には極めて広範な裁量権が認められるので、「判断の過程・手続きに何らかの過誤、欠落がある」だけでは足りず、以下の場合には、裁量の逸脱・濫用がなく適法だと主張している。
①現実の生活条件を無視して著しく低い保護基準を認定したものとなっているなどの事情がない場合
②事後的な検証により、改定された生活保護基準が『最低限度の生活の需要を満たす』ものであったことが認められる場合
なお、これは同種の訴訟で原告敗訴の判決を下した大阪高裁の判決(令和6年(2024年)4月26日)の論旨と同じものである。
鴨田弁護士はこの論旨①②のそれぞれに対し、以下のように問題点を指摘する。
鴨田弁護士:「①については、事実上、客観的な資料・根拠による説明がなされていればなんでも良いということになりかねない。
②については、二重の誤りがある。第一に、行政の行為が違法か適法かの判断は、その行為のときを基準に行うものであり、事後的な検証によって正当化することはできない。
第二に、平成29年に行われた『事後的な検証』自体にも問題がある。『第1・十分位世帯』の消費実態と生活扶助基準の間の比較検証を行っておらず、特に、生活保護世帯の75%程度を占める単身世帯について、全く検証が行われていない」
「人間らしい生活、健康で文化的な生活を」
口頭弁論期日後の報告集会において、原告の一人で、様々な障害を抱えながら社会福祉施設の生活支援員として働く佐藤晃一さんは、以下の通り、裁判の判決への期待と今後の意気込みを語った。
佐藤晃一さん(1月9日 東京都千代田区/弁護士JP編集部)
佐藤さん:「今は生活することと働くことで精いっぱいだが、少しでも人間らしい生活、健康で文化的な生活を送りながら働くことを目標として頑張ってきた。
私は治ることのない精神障害を抱えており、他にも消化器系の疾患、外科的な疾患を抱え、それらの障害と共存して生きていかなければならないので、これからどうなるか分からないが、少しでも頑張っていきたい。
この裁判も終着点が見えてきたので、これからも応援をお願いしたい」