かつてアルコール消費を抑制しようとした禁酒法は、社会的影響のみならず、経済にも多大な波紋を広げました。販売の禁止が消費の抑制につながるという理論のもとに制定されたこの法律は、表向きには社会の健全化を目指したものの、その背後には自由と規制のバランスに関する深い議論が存在します。経済活動における個人の権利と国家の介入の限界を考えるうえで、禁酒法が残した教訓とは何だったのでしょうか? 本記事では、19世紀で最も影響力のあったイギリスの哲学者、経済思想家であるジョン・スチュアート・ミルの「自由論」を翻訳した書籍『すらすら読める新訳 自由論』(著:ジョン・スチュアート・ミル 、その他:成田悠輔 、翻訳:芝瑞紀 、出版社:サンマーク出版)より一部抜粋・編集し、禁酒法を通じて浮かび上がる自由と規制の交錯を探ります。
「禁酒法」が制定されたワケ
イギリスの植民地のひとつと、アメリカの州の半分近くでは、「飲酒の害を防ぐため」という名目で、医療以外の目的でのアルコール飲料の使用が禁止されている。法律の条文には「販売の禁止」と書かれているが、これは事実上、使用を禁止するためにつくられたものだ。
この法律は、制定されたメイン州にちなんで「メイン法」と呼ばれるが、実施するのが困難だったため、メイン州を含む多くの州で撤廃された。そうした出来事があったにもかかわらず、イギリスでも同じような法律を制定しようという運動が始まった。現在も、“自称”博愛主義者たちが熱心にこの運動に取り組んでいる。
その結果、禁酒法制定のための「連合」と称する団体が結成された。この連合の幹事と、政治家のスタンリー卿とのあいだでやりとりされた書簡が公開されたことで、連合の悪名は広く知られることとなった。
スタンリー卿の信念は、「政治家の意見は原理原則にもとづくものでなければならない」というものだ。彼のように考えられる立派な政治家は、イギリスにはめったにいない。公の場でさまざまな資質を発揮し、自分の希少価値を示してきた彼だが、公開書簡においても期待を裏切らないみごとな論理を展開した。
一方、連合の代表者である幹事は、「解釈をねじ曲げれば、偏見や迫害を正当化できるような原理が認められることを心から残念に思う」と述べ、そうした原理と連合の原理のあいだには「越えられないほど大きな障壁」があると指摘した。また、「思想、意見、良心にかかわることはすべて、法律の領域の外側にあると私は考える。反対に、社会的な行為、習慣、人間関係にかかわることはすべて、個人ではなく国家に与えられた裁量に従うべきものであり、したがって法律の領域の内側にある」と論じた。
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禁酒法の問題は「販売者の自由を侵害すること」ではない
その書簡では、ふたつの分野のどちらでもない第三の分野である「個人的な行為と習慣」についての言及はない。しかし、飲酒という行為が属するのは、まさにこの第三の分野だ。
アルコール飲料の販売は商業であり、商業は社会的な行為である。だが、禁酒法の問題は、販売者の自由を侵害することではない。消費者の自由を侵害することだ。酒が手に入らないような状況をつくることは、飲酒を禁止するのと変わらないからだ。
ところが、連合の幹事はこう主張した。「私は一市民として、他者の社会的行為のために自分の社会的権利が侵害されたときには、法律によってそれを抑制する権利を主張する」。