【脳科学者が語る認知症介護体験】知っておくと接し方が見える「認知症患者の頭の中で起きていること」

2023年5月、8年間介護してきた母・恵子(けいこ)さんを亡くした脳科学者の恩蔵絢子(おんぞう・あやこ)さん。娘としてだけでなく研究者としても認知症とその人らしさに向き合ってきました。そこから見えてきた新たな事実について伺いました。

恩蔵絢子さんのプロフィール

撮影=中川まり子

おんぞう・あやこ
1979(昭和54)年神奈川県生まれ。脳科学者。2007年東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻博士課程を修了、学術博士。専門は自意識と感情。母親が認知症になったことをきっかけに、生活の中で見られる症状を記録し脳科学者として分析した『脳科学者の母が、認知症になる』(河出書房新社刊)を18年に出版。近著に『なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか』(中央法規出版刊)など。

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母の「能力」が弱まっても「感情」は残っている

前回は、母に現れた認知症の症状と取り組みについてお話ししました。今回は、私の専門の脳科学の面から、「感情」と「能力」についてお話ししたいと思います。

脳科学の研究で、感情には2つの区別があることがわかっています。一つは体の反応である「情動」、もう一つはその情動を自覚し、意識的に感じられた情、いわゆる「感情」です。英語では前者をemotion(エモーション)、後者をfeeling(フィーリング)といいますが、もしかしたら英語の方がイメージしやすいかもしれません。

「情動」は脳の扁桃体という部分で危険なことを察知して反応する、生物に古くから備わっている能力です。例えばヘビを見たとき、まず「手が汗ばむ」「身を引く」といった瞬時の体の反応「情動」が起こり、それを詳細な分析をする大脳皮質が、後から自覚して、いわゆる「感情」として「怖い」と感じます。

脳科学では、この体の反応も「感情」の一種と考えます。「恐怖」や「怒り」などを、脳の進化的に古い部分で、本能的に感じるからこそ、それに対して適切な行動がとれるようになります。

「感情的になるな、理性で行動しろ」と、よく言われることがありますが、今の脳科学の常識では「感情がないと理性的には行動できない」と結論づけられています。

pearlinheart / PIXTA

私の母はもともと料理が得意で大好きだったのですが、認知症の重度といわれるようになった頃は、私と一緒に台所に立っても集中力に問題があって料理することは難しくなっていました。

しかしそれでも、私が台所に立っていると、母がそばに来てくれるのです。私が初挑戦の料理をしていたり、集中しているときに限って母が来るので、初めはそれがちょっと嫌でした。

「もう、今ちょっと大変だから、そっとしておいて」みたいなときに限ってなので。台所は母がいつも座っている居間から見える位置にあり、母からすると、私がいつもと違う料理を作ろうとして、慌てふためいていることを雰囲気で感じ取っていたのだと思います。

段取りを考えて手際よくおいしい料理を作るという母の「能力」の部分は弱まってしまっていたけれど、子どもを守りたいという思い、「感情」は残っているのです。私は集中したいし、切羽詰まっているので、母の予想外の行動にそのときは困惑してしまったのですが、母としては、助けなきゃという「情動」で自然に体が動いていた。

子どもを守る責任を実行する「能力」は具体的に示せなくても、母らしい「感情」は、いろいろな場面でも感じることができました。母は常に私を助けようとしてくれていたのだなと思いますし、一見不可解な行動に潜む、母の動機というものを理解できるチャンスなので、些細なことも見逃さないようにしていました。