桐島かれん、認知症を患う作家で母・桐島洋子さんとの今「“切れ味鋭い桐島洋子”が少し恋しい日も」

成長し、母になり、年を重ねていく中で、母の「自分らしく、ただ生きる」という生き方を理解できたというモデルの桐島かれんさん。ですが、聡明だった母で作家の桐島洋子さんが認知症を患って……。どう受け止め、どう向き合っているのか、お聞きしました。

桐島かれんさん、母・桐島洋子さんのプロフィール

左/桐島かれんさん(モデル・58歳※取材時)
きりしま・かれん 1964(昭和39)年生まれ。モデル。現在はファッションブランド「ハウス オブ ロータス」のクリエイティブディレクターとして世界中を飛び回っている。著書に『ホーム スイート ホーム』(アノニマ・スタジオ刊)など。

右/桐島洋子(作家・86歳※取材時)
きりしま・ようこ 1937(昭和12)年生まれ。出版社勤務を経て、フリージャーナリストに。1970年に作家デビュー。1972年『淋しいアメリカ人』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。世界中を旅しながら、書籍や雑誌の執筆のほか、テレビのコメンテーターとしても活躍。未婚のまま、かれんさん、ノエルさん、ローランドさんの三姉弟を育て上げた。

(広告の後にも続きます)

母が恥ずかしい…「普通のお母さん」に焦がれた幼少期

かれんさんは今、かつて洋子さんも暮らした、海に臨む葉山に居を構えています

桐島かれんさんが思い出す母・洋子さんの姿は、机に向かって原稿を書き続ける背中です。

1970年に作家デビューした、母の桐島洋子さん。発表する作品はどれも同世代の女性に熱狂的に受け入れられ、さらには文学賞も受賞しました。

同時に、「未婚であり、恋も存分に楽しんでいたようでしたから、メディアの恰好のネタになりました」とかれんさんは話します。

小学校に上がると、「それが恥ずかしくて。『かれん』という名前も、母が私に着せる洋服も、友達とは全然違う。私はよく、夜ベッドの中で『普通のお母さん』のいる家庭を想像しながら寝たものです」

でも今になれば、気になってしまう原因は母にあったのではなかった、とかれんさん。

「母は、母親だから女だからということは一切なく、自分らしくただ生きていただけでした。自分も成長するにつれ、それが理解できました」