初めての遠洋マグロ漁船…“地獄の4か月”のはじまり
こうして近海マグロ漁船だけ経験していた私は、18喜龍丸という遠洋マグロ漁船に乗ることになりました。早速秀樹ちゃんと仕込みに向かい、船頭さんに挨拶して私物を詰め込みました。
覚悟を決めて、4か月間の航海へと出発です。
出船後、約2週間はひたすら船を走らせました。目的地はハワイよりさらに先、中米のパナマ付近です。この間は操業しませんが、船員にはいろいろと仕事があります。
特に大変だったのが、ブラン※刺し。ブランを縄刺しの要領でほどいて編み込んで、スパイキ(先の尖った棒)を使って刺していきます。これが難しいというか、そもそも近海マグロ漁船ではやったことのない作業だったので、なかなかできませんでした。ブランはマグロが掛かったときに引っ張る仕掛けの細い縄ですが、縄刺しをするときの縄よりもずっと細いので、なかなか刺せません。
※…仕掛けがついている枝縄。
ブランと悪戦苦闘していると、この船のボースン※が寄ってきました。
※…甲板長はボースンと呼ばれ、船の甲板の上でのさまざまなことを取り仕切るマネージャーのような役職。船の中ではナンバー2のポジション。
「なんだ、ブラン刺しできねえのか?」
「はい、すいません……」
「そうかそうか。ならシメつけながら教えるしかねえな」
「すいません……」
シメつけながらとは、殴りつけながらという意味です。
ボースンは髭がボーボーで髪も長く、体も大きいので熊みたいな男です。このボースンがパワハラを繰り返していました。
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パワハラに「我慢の限界」の筆者がとった驚きの行動
操業が始まると「何やってんだ!」「バガこの!」とボースンに怒鳴られまくります。そして「バガ野郎!」とケツを蹴られる。毎日こんな感じでした。たまにタバコをもらうこともありますが、暴力と暴言が続いてとてもキツかったです。
ボースンはもちろん仕事はできますし、遠洋マグロ漁船で1年航海とかをやってきたベテランでした。マグロ漁船員はだいたい箔をつけるために10か月や1年という長い航海に行き、ケープタウンや大西洋での本マグロ漁を経験して、こうした航海期間の短い船で役職つきで働いているのだと思います。それくらいメンツにこだわる一面があります。
ボースンから暴力を振るわれるだけでもキツいのですが、最悪なことに、このボースンと投縄チームで一緒でした。
毎回投縄の日になるとボースンと投縄をするので、そのたびにパワハラを受けていました。
「バガこの! 何やってんだこのポンスケ!」
毎回こんな感じで言われるので、私もふつふつと怒りが込み上げてきました。そしてついに我慢できなくなり、ある日の投縄が始まった夜、とうとう言ってしまいました。
「テメー、陸に上がったら見てろよ! ただじゃおかねえからな!」
まるで捨て台詞のように喧嘩を売りましたが、その場を立ち去るわけでもなく、私は餌投げ、ボースンはスナップ掛けを続けていました。するとボースンはスナップのついたブランを振り回し、器用にも先端のスナップで私の顔をぶっ叩きました。
「いでー!」
激しい痛みに顔を押さえると、こめかみにスナップが当たって流血していました。痛いし熱いし、わけがわからない状況でした。その後も無理やり投縄を続け、後からボースンに説教されました。このときのボースンは怒鳴るわけでもなく、諭すように静かに話してきました。
「バガだな、おめえは。もうあんなこと言うなよ」
船のオモテで傷に絆創膏を貼ってもらいました。
「はい、すいません」
私も殴り掛かって喧嘩しても構わないのですが、なんせ海の上ですから落とされたらひとたまりもありません。そうやってふと冷静に考えられたので、それ以上は事を大きくしませんでした。
でも、窮鼠猫を噛むと言うように、追い詰められたら噛みつくぞ! というところを見せられたのは満足でした。よくやった、俺! そんなふうに自分に言い聞かせ、寝台で毛布にくるまりました。
その後もパワハラは続きましたが、前よりは少なくなったような気がします。気のせいだったかもしれませんが。
菊地 誠壱
元マグロ漁船員/Youtuber