【女の人生】50代「ナチュラル礼賛型女性」の人生と恋・バブル崩壊を経て自然志向になったワケ

ひと口に50代といっても、さまざまなタイプの女性がいる。今回は「ナチュラル礼賛型女性」について解説しよう。バブル崩壊に敏感に反応し、自分の価値観を作り上げていったタイプといえるだろう。

人工的なものが世にあふれていたバブル時代

バブル時代は「人工的なもの」が世の中を席巻していた。すべてがキラキラしていたが、そこに「自然なもの」はなかったのだ。

若い女性たちは、今思えば年齢的にも意識としても似合わないブランドバッグを手にするために奔走した。そしてバブルが弾けたとき、虚しさだけを覚えた女性たちの中には、一気にナチュラル派へと舵を切ったタイプがいる。

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バブル崩壊後に就職、お金が人を幸せにしないと痛感した

バブル時代は高校生だったが、当時、父親が不動産関係の会社を経営していたため、浮かれていた父と泣いている母が印象に残っているというアズサさん(48歳)。

「父が訳のわからない事業にまで手を伸ばして、揚げ句毎晩のように飲みに行っては帰ってこなくて。母はよく泣いていました。おそらく女性関係も悩まされたんじゃないでしょうか」

バブルが弾けたとき、アズサさんは大学3年生だった。一気に新卒社員の採用数を減らす企業ばかりではなかったため、何とか大手企業に滑り込んだが、そこからは「ずっと冷や飯を食わされているような状態」だったという。

「先輩たちは、ほんの数年前まで多額のボーナスをもらっていたと嘆いていました。入社して数年たつとリストラが始まって……。なかなか後輩も入ってこない状態。家は家で、父親の会社は倒産し、父は失意の中、すべての整理を終えてから病気で急死しました。母が堅実で、いくらか預貯金があったために何とか生活はできていましたけど、本当に狂乱の時代だったんだなと改めて感じましたね」

父の通夜や葬式には、女性が入れ代わり立ち代わり数人やってきて、「別れるとき手切れ金をくれると言ったのにくれなかった」「遺産を少しでいいから貸してほしい」と口々に訴えた。母はすべての女性たちを、「訴訟でも何でもすればいいわ」と追い払った。

「なかなかの修羅場でした。そういうのを見ていて、世の中ってお金がすべてなのかなと疑問が湧いてきて。父の会社のこともいろいろ調べてみたら、ものすごく適当な経営をしていたんですよね。まさにバブルで完全にどんぶり勘定という実態があった。これじゃ倒産するでしょう……と」

そういえば父は、高校生だった彼女に高級ブランドのバッグやアクセサリーをたくさん買ってくれた。一人っ子の娘がかわいくてたまらなかったのだろう。だが彼女はほとんど使うこともなく、それらをすべて質屋に売り払った。

「虚しかったですね。お金は人を幸せにしないと痛感しました。父と母は駆け落ちのように結婚して、苦労して不動産の店を経営、実直に丁寧に仕事をしていたのにバブルに乗って最後は自滅してしまった」

何かが違う、どうしたらいいのだろうと彼女は考え続けた。