【体験談】老々介護の先に見た、父の満ち足りた最期と家族の想い~娘からの視点~

贅沢なほどの幸せな旅立ち

満足して眠りの世界に入り、日付が変わる頃。

母は寝ている父の様子を見にベッドに行き、布団をかけ直していると、

父は大きな息をひとつして、
母に手を握ってもらって、
亡くなりました。

まるでドラマのような旅立ちでした。

半分開いた父の目の力のなさを見た私は、その瞬間「もうこの世にはいないな」と感じました。

悲しいとかさみしいとかいう気持ちより、「86年楽しかったね。お疲れさま」という思いがあふれました。

訪問看護師さんに連絡し、10分後に到着。

父の様子を確認して先生を呼んでくださり、死亡確認をしていただいたのは約1時間後のことでした。

先生が来るまでの間、看護師さんと母、妹、私の4人でいろんな話をしました。

看護師さんが初めて父に会ったときの話、これから何をしなくてはならないかの話(看護師さんは昨年親御さんを亡くしたそうで、葬儀の話もざっくばらんに教えてくれました)など、穏やかな時間を過ごしました。

病院での看取りではこうはいかなかったでしょう。危篤になればバタバタとお医者さんや看護師さんが来て、それはありがたいけれど、蘇生措置などもするのかもしれません。

特に大きな持病もなく、老衰で亡くなった父にとっては、自宅で看取れてよかったなぁと感じました。

父が好きだった曲をピアノ録音し、葬儀で流してもらいました。聞こえたかな♪

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介護生活を振り返って

長いようで短かった介護生活。日常的なケアは母がほとんど一人で担ってきて、私は母のケア(という名の話し相手)が中心でした。もう少し物理的な手伝いもするべきだったかなと反省しています。

が、結果的には母自身が納得のいく時間を過ごし、父の「家にいたい」という希望を叶えることができました。

結局、介護には”正解”などないのだと思います。逆に言えばどんな介護も正解なんだなと。

介護される側とする側双方が、フェーズが変わるタイミングごとに「どうしたいか、どうしてあげたいか」を話し合い(話せないときは察し)、少しでもお互いが自分らしくいられる方を探していくことが大切だな、と両親を見て感じました。

介護に限らず、「自分がどうしたいか」を都度考えて歩んでいくのは人生の基本かもしれません。

介護を通して感じたこの思いを、私のこれからの人生に生かしていきたいと思っています。