
1990年代以降、雇用の不安定化が進み、格差社会への不安が広がります。自由な市場は本当に人々を豊かにしたのでしょうか。本稿では、北海道大学大学院経済学研究院准教授の満薗勇氏の著書『消費者と日本経済の歴史 高度成長から社会運動、推し活ブームまで』(中央公論新社)より詳しく解説します。
格差社会の不安と生きづらさ
雇用の不安定化が進んだことは、企業社会と近代家族の結びつきからなる戦後日本社会の編成原理にも決定的な影響を与えた。近代家族という家族像が理想とする性別役割分業規範は、ジェンダー不平等による抑圧の作用を強めていく。
1985年成立の男女雇用機会均等法は、性別により差別されず職業生活を送れることを目的としたが、企業は総合職と一般職からなるコース別人事管理制度を作って対応し、正規雇用のなかでの実質的な女性差別は温存された。多くの女性はケアを負わされたまま、不安定な非正規雇用のもとでサービス経済化を支えることを強いられた(上野千鶴子『女たちのサバイバル作戦』文春新書、2013年)。
内閣府の「国民生活に関する世論調査」によれば、「あなたは、日常生活のなかで悩みや不安を感じていらっしゃいますか」という設問に対して、「感じている」と答えた人の割合は、1986年には48.7%であったが、これが2009年には68.9%にまで大きく増加している。どのようなことに悩みや不安を感じているかという追加設問に対しては、2009年調査の回答(複数回答)上位が、1.「老後の生活設計」(54.9%)、2.「自分の健康」(49.2%)、3.「今後の収入や資産の見通し」(43.9%)の順となっている。
また、「お宅の生活は、これから先良くなっていくと思いますか」という設問に対して、「悪くなっていく」と答えた人の割合は、1986年には14.2%であったが、2009年には32.3%にまで増加した。この間の調査結果からは、1990年代半ばを境に、「良くなっていく」と答えた人との割合の逆転が確認できる。
このように、ポストバブルの時代は、雇用不安が広がり、経済成長への展望も描けず、生活への不安が広がる時代であった。少子高齢化の進展から人口減少社会へと向かうなかで、多くの人びとが格差社会に生きづらさを抱える時代となったのである。
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規制緩和と消費者利益
以上に概観したなかで、本稿の関心から注目されるのは、規制緩和をめぐる動向である。
規制緩和は、貿易摩擦に伴うアメリカの市場開放要求と、財政赤字の解消を目的とした行財政改革の必要性が結びつくかたちで構造問題として取り組まれたが、長期経済停滞が続く状況のもとで、景気回復や経済成長という目的のために必要な政策として位置づけられるに至った。
しかしながら、日本経済の推移に照らすと、結果としては成長促進効果に乏しく、むしろ社会構造の不安定さを増幅したものとも評価される(寺西重郎「序」寺西重郎編『バブル/デフレ期の日本経済と経済政策7 構造問題と規制緩和』慶應義塾大学出版会、2010年)。
興味深いことに、一連の規制緩和の取り組みでは、その経済的意義が消費者利益に結びつけられるかたちで繰り返し強調された。
たとえば、1989年からの日米構造協議で、アメリカは貿易不均衡の原因を日本経済の構造的問題にあるとみなし、大店法(大規模小売店舗法)、系列関係、排他的取引慣行、価格メカニズムなどの改善を要求した。アメリカは、それが「日本の消費者の利益」のためになると説いた(佐々木毅「論壇時評」『朝日新聞』1989年12月27日付夕刊)。
日本側は日米構造協議を受けて、1990年6月に政府が報告書「流通・取引慣行とこれからの競争政策」をまとめたが、その副題には「開かれた競争と消費者利益のために」という文言が使われ、競争の促進が消費者利益にかなうと強調した。
これを報じた新聞も、「日米構造協議の本質は、生産者、供給者第一主義で組み立てられてきた日本の社会構造を消費者優先に切り替えることにある」ため、「報告書が、消費者利益と外国からの競争機会の確保という視点から」まとめられたことを「評価」したい、と受けとめている(『朝日新聞』1990年6月25日付)。
日米構造協議の焦点の1つは、大店法の問題であった。アメリカが競争制限的な規制だとして撤廃を要求したのに対して、大型店からなる日本チェーンストア協会は、消費者利益に沿うものとして撤廃に賛成している(『朝日新聞』1990年3月17日付)。結果から見ると、日米構造協議によるアメリカの圧力は、大型店規制の緩和に向かう重要な転機となり、2000年には大店法が廃止された(石原武政編著『通商産業政策史 1980-2000 第4巻 商務流通政策』経済産業調査会、2011年)。
その後も、規制緩和は消費者利益のための政策として意味づけられ、総じてメディアもこれを好意的に報じた。規制緩和は「消費者利益の観点に立って、非効率な既存事業者の温存を避け、活力ある新規参入者を歓迎するとの考え方」によるものとされ(『朝日新聞』1996年12月6日付)、「〔19〕95年度まで6年間に、規制緩和が消費者にもたらした利益を金額で換算すると年度平均で4兆円を大きく上回る」という総務庁『規制緩和白書』の推計も、好意的に紹介されている(『読売新聞』1997年12月5日付)。