34歳で彼女と初めての海外旅行。男が旅行中ずっとソワソワしていたワケ

◆これまでのあらすじ

恋愛をあきらめて生きてきた税理士・寿人(34)は、趣味のソロキャンプ中に出会った結海(30)に惹かれ、ついに結婚した。みなとみらいの式場で結婚式を挙げる直前、2人は――。

▶前回:出会って4ヶ月、お泊まりしたいけど日帰りで遠出に誘う彼。32歳奥手男子の本音とは

《結海SIDE》



ウエディングドレスが重たい。腰に、ずどんとした負荷を感じる。

それでも結海は、こんな夢のような時間がずっと続いたらいいのにと願う。

「では、そろそろ挙式開始でございます。ご移動ください」

タイトなブラックスーツを着こなした若い女性が、先導してくれる。

寿人と連れ立ってチャペルの扉近くに立つと、一気に緊張が込み上げてくる。

― どうしよう、緊張してきた。

思わず肩に力が入ったとき、寿人がいつにない強さで、手を握ってくれた。

― ふふ。

結海がつい微笑んだのは、彼の手が小刻みに震えていたからだ。彼の愛しい手の甲を指先でトントンとさすりながら、結海は「大丈夫よ」と優しくつぶやいた。

― こんな日がくるなんて。

寿人に出会うまで、こんな幸せが待っているとは思っていなかった。数年前に想像していた未来とはだいぶ違ったところに、今たどり着いた。

幸せで、満たされている日々。

現在30歳。今、人生が一番明るい。



元カレ・研哉との関係に混乱して、鬱屈した気分で日々を過ごしたこともあった。

残業続きの本業と、実家のパン屋さんの手伝いに追われて、体が悲鳴を上げたこともあった。

あの頃は、重たい雲がかかったような、八方塞がりな未来しか見えていなかった。

― 今は、まるで違う。

実家のパン屋は、あれから信頼できるアルバイトを4人も獲得し、業績も好調だ。今日も両親が挙式に参加するにあたって、アルバイトに安心してお店を任せてきたようだ。

結海は店に立たない代わりにSNSを担当し続け、順調にフォロワーを増やしている。

仕事のほうも、状況はだいぶ好転した。

仕事量を調整してほしいこと、そのために新しい人をとってほしいことをしぶとく訴え続けた結果、1年ほど前にようやく1人メンバーが増えた。

上司の威圧的な態度で未だに理不尽な思いをすることもあるが、結海のストレスはだいぶ軽減されている。

「…ありがとう、寿人」

彼のおかげで、毎日が変わっていく。

のびやかな気分になって、無意識に封じ込めてきたむき出しの自分に何度も出会う。大声で笑ったり、恥を忘れて甘えたり。

寿人がいなければ、一生こんな自分を知らずに生きていた気がする。人の縁の不思議だと思うと、甘やかな感動が心に染みわたる。

「こちらをお持ちください」

スーツを着た女性が、白いブーケを手渡してくれる。

「ありがとうございます」

父親が、スタッフに連れられて、こわばった顔つきでやってきた。

結海は、改めて背筋を伸ばす。

《寿人SIDE》



寿人は、深く深呼吸する。

あと数分で、挙式が始まる。

みなとみらいの美しい海を背景に、これまでお世話になってきた大切な人たちが拍手をしている――そんな映像が頭に浮かぶ。

― ドキドキしてきた。…でも、結海さんも不安そうにしているな。

ドレスを着た結海の、細い肩があがっている。寿人は彼女に落ち着いてほしくて、そっとその手を握った。

しかし直後に気づいたのは、むしろ自分の手のほうが震えているという事実だ。

「大丈夫よ」

結海が目尻が下げて優しくつぶやいたのは、寿人の緊張を感じたからだろう。その大人っぽい表情に、寿人の鼓動はますます速まる。

― 結海は…付き合ってから、どんどん変わったよな。ますます素敵になった。

交際して2年。

結海は日々明るくなり、そして大人っぽくなっていったと寿人は思う。

最初、付き合って半年ほどは、絶妙に照れくさい雰囲気が漂っていた。でも今や、お互いに等身大で関わり合えている。

「こちらをお持ちください」

細身のスーツを着た女性が、結海に白いブーケを手渡した。

― いよいよだ。

結海の父親が、スタッフとともにやってくる。

プロポーズをしたときに似ている、せり上がってくるような緊張を感じる。



寿人が結海にプロポーズをしたのは、2人で行ったヨーロッパ旅行でのこと。

「ヨーロッパは初めて」だという結海は、終始かわいくはしゃいでいた。

反対に寿人は、最終日にプロポーズをすると決めていたから、終始不安でソワソワしていた。

セーヌ川沿いで指輪を渡したときの、あの弾けるような笑顔に、一気に救われたのを思い出す。

隣にいる結海に、心の中でつぶやく。

― 出会ってくれて、ありがとう。

あの日、静岡のキャンプ場に行って本当に良かった。そうじゃなかったら今頃、どうなっていただろう。

幸せに暮らしていたとは思うけれど、こんなに誰かを愛しく思う気持ちには、一生出会えなかったと寿人は思うのだ。

「ねえ、寿人?」

結海が、小声でささやく。

「ん?」

「ありがとうね。出会ってくれて」

「…僕もいま、そんなことを考えてた。僕のほうこそ…」

感謝を言おうとしたが、言葉より先に涙が込み上げてきそうで、寿人は慌てて咳払いをする。

扉が開いたそばから自分だけが号泣しているなんて、華に一生からかわられそうだから。

「…あとで、たくさん話そ」

そのとき、「花のワルツ」が、生演奏らしい重厚感のある響きで聞こえてきた。

結海と彼女の父親が、まだ時間はあるのにあわてて腕を組む。

その様子に、寿人はほっこりした気持ちになり、にっこりと笑った。

「では、ご新郎様はお先にこちらへ」

重厚感のある扉の前に、一人で立つ。

心躍るようなメロディに合わせて、両親、華、サブちゃん…。これまでの人生を彩ってくれた、大切な人たちの顔が順番に浮かぶ。

見慣れた顔を思い出すと緊張はほぐれてきて、代わりに照れくささが寿人を包んだ。

これからも、彼らに支えられながら、あきれられたり、うんざりされたりしながら、前に進んでいくのだろう。

新しく大切な人に加わった、結海とその家族にも囲まれながら…。

寿人は思う。

― どうか、幸せになろうな。みんなで。

ゆっくりとドアが開いた。向こうから、さざなみのような拍手が聞こえてくる。

その温かい、幸せな音色に耳を澄ませ、寿人は一歩を踏み出した。

Fin.

▶前回:出会って4ヶ月、お泊まりしたいけど日帰りで遠出に誘う彼。32歳奥手男子の本音とは

▶1話目はこちら:「自然に会話が弾むのがいい」冬のキャンプ場で意外な出会いが…

▶NEXT:4月16日 水曜更新予定

番外編:寿人の妹・華の恋