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【2025年秋で見納め】67年の歴史に幕。市民が守り抜いた「生田緑地ばら苑」再整備前の最後の一般公開へ

【2025年秋で見納め】67年の歴史に幕。市民が守り抜いた「生田緑地ばら苑」再整備前の最後の一般公開へ

生田緑地ばら苑

「天空のばら苑」として親しまれ、テレビ番組『アド街ック天国』でも第1位に輝いた神奈川県川崎市「生田緑地ばら苑」が、再整備工事のため、2025年11月3日(祝・月)までの一般公開をもってしばらく休苑することが決定しました。約1.2haの敷地に、約800品種、約3,300株が植栽されている「生田緑地ばら苑」に長年親しんできたバラ愛好家で日本ローズライフコーディネーターの元木はるみさんが歴史を振り返り、2025年秋のファイナルイベントをご案内します。

春は約800品種、秋は約620品種のバラが咲き誇る「天空のばら苑」

生田緑地ばら苑

1958年(昭和33年)に開苑して以来、67年もの長きにわたり、憩いの場として市民に愛されてきた「生田緑地ばら苑」は、かつて「向ヶ丘遊園」閉園の危機を乗り越え、市民の声によって守り抜かれた歴史を持っています。モダンローズや希少なアーリーモダンローズなど、約800品種3,300株のバラが植栽されている「生田緑地ばら苑」の歴史をまずは振り返ります。

生田緑地ばら苑

神奈川県川崎市「生田緑地ばら苑」は、1927年(昭和2年)、小田原急行開通と共に、川崎市多摩区の山の上に開業した「向ヶ丘遊園地」の中に、戦争を経て開業から31年後の1958年(昭和33年)に「向ヶ丘遊園ばら苑」として開苑しました(現住所:神奈川県川崎市多摩区長尾2丁目8-1)。

ばら苑は、緩やかな坂道と階段の上に広がり、「天空のばら苑」と称されます。

生田緑地ばら苑

春は、約800品種、約3,300株のバラが開花。秋は、四季咲き性、返り咲き性のバラを中心に、約625品種、約2,900株のバラが開花します。

2023年9月2日に放送されたテレビ東京【アド街ック天国「登戸・向ケ丘遊園」 】の Best20では、「生田緑地ばら苑」が堂々の第1位に選ばれました。番組内では、「地元のひとたちで守ったばら苑」と紹介されました。

生田緑地ばら苑

歴史のあるばら苑だけに希少な品種が多い一方、最近では病気や老化で衰えが目立つ株も見受けられることから、川崎市は、市民ミュージアムの武蔵小杉からの移転計画と合わせ、「生田緑地ばら苑」全体の再整備を含む管理運営方針を制定中とのこと。今年度内に方針をまとめ、2026年度から整備事業が始まるため、この2025年秋の一般公開をもって、しばらくの間休苑となることが決まりました。

これを機に、市民をはじめ、近郊の人々にとっても、67年もの長きに渡って憩いの場として親しまれてきた、多摩区を象徴する「生田緑地ばら苑」の歴史と魅力について振り返ってみたいと思います。

「生田緑地ばら苑」の歴史

開苑時の時代背景

生田緑地ばら苑
ZaQeL/Shutterstock.com

遡ること、1958年5月23日「向ヶ丘遊園ばら苑」として開苑したその年の日本国内の主な出来事を調べてみると、1958年は、第二次世界大戦後の“日本の敗戦から復活を目指す”高度急成長期を象徴する出来事がたくさんあった年でした。

  • 3月9日:山口県下関市と福岡県北九州市を結ぶ海底トンネル「関門トンネル」が開通。
  • 4月5日:長嶋茂雄プロ野球デビュー。
  • 11月1日:特急「こだま」が運転開始。
  • 11月27日:皇太子明仁親王(現・上皇様)と正田美智子様(現・上皇后様)のご婚約発表。
  • 12月1日:新1万円札(聖徳太子)発行。
  • 12月23日:東京タワー完成。
  • 12月27日:国民健康保険法公布。他。

この年の出来事を振り返ると、日本国内だけでもこんなにさまざまなことがあり、時代が大きく新しい時代に移行している様子が伺えます。

生田緑地ばら苑
1977(昭和52)年に、朝日新聞社より寄贈された「フローラの像」のある「ロイヤルコーナー」。

「ばら苑」ができる前の「向ヶ丘遊園」でも、平和や豊かさを象徴する娯楽施設が次々と創られていました。「動物園」(1950年)、「プール」及び、「天然スケート場」、遊園地の入り口から園内山頂を結ぶ関東初の「空中ケーブルカー」(1951年)、「鑑賞用温室(オランジェリー)」(1955年)などが設置されました。

そしていよいよ、日本では明治維新以後「文明の花」の象徴とされ、世界大戦以後は「平和の花」の象徴となったバラが、「向ヶ丘遊園ばら苑」に集められ、1958年5月23日に開苑の日を迎えました。

開苑間もない5月27日と翌年の1周年記念には、秩父宮妃殿下がご来訪されました。

開苑時に携わった人々

生田緑地ばら苑

「向ヶ丘遊園ばら苑」開苑には、当時の園芸やバラの専門家たちが携わっていました。

ばら苑の設計には、東京大学農学部園芸学教授の横山光雄氏、ばら苑の植栽と管理には、新宿御苑苑長の福羽発三氏、バラの品種については、海外の留学経験もあり、海外のバラに関する書物を日本に紹介し、バラの普及に貢献し、日本に於ける初めてのバラの会「大日本薔薇協会」{1927(昭和2)年3月25日設立}や、「ひらかた大バラ園」(現・ひらかたパーク・ローズガーデン){1955(昭和30)年開園}の誕生に深く携わった岡本勘治郎氏などが、「向ヶ丘遊園ばら苑」の誕生にも深く携わっていました。

戦中~戦後と、園芸やバラ栽培を続けることが困難な時代に、日本での園芸文化やバラ文化を守りぬいた当時の専門家達の知識と経験が、「向ヶ丘遊園ばら苑」の誕生に注がれたことを思うと感慨深いものがあります。

開苑後の様子

「向ヶ丘遊園ばら苑」の開苑後は、1963(昭和38)年に、第1回フラワーショー「日本の花・世界の花」ほか、さまざまな花に関するイベントが開催されるなど、しばらくの間、遊園地と共に大変人気を博しました。

1990年代のばら苑
1990年代のばら苑の様子。

1977(昭和52)年に、朝日新聞社より寄贈された「フローラの像」のある「ロイヤルコーナー」。こちらには、‘クイーン・エリザベス’や‘プリンセス・アイコ’、‘プリンセス・ミチコ’ほか、皇室や世界のロイヤルにちなんだバラが今も植栽されています。

1990年代のばら苑
1990年代のばら苑の様子。

当時は、水の豊富なばら苑として、噴水や水面に映るバラの美しい風景を楽しむことができました。

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