◆これまでのあらすじ
莉乃(30)と正輝(30)は、小学校からの大親友。性別を超えた友情を育んでいたものの、正輝の彼女・萌香(27)は「男女の友情」が信じられないため、それを快く思っていなかった。
萌香に気を使い距離を置いていたふたりだったが、ついに正輝と萌香が婚約。しかし莉乃は、萌香が夜の街で他の男とホテルに向かうのを目撃してしまい、正輝を呼び出すのだった。
▶前回:「幸せなんだけど、この妙な空気はなに…?」彼女と2人きりの車内、男が感じた緊張感とは
Vol.13 <莉乃>
「ああ、そろそろ時間だ。俺、行かないと」
小皿に残っていたナポリピッツァの耳を口に放り込みながら、正輝が言った。
「本当だ!確かに、時間過ぎるの早いわ」
「莉乃もおばあちゃんだな」
「同い年だからね。正輝がおじいちゃんなら、そうなるね」
どうでもいい会話をやりとりしていると、会うのが4ヶ月ぶりという感じはしない。まるで、昨日も会ったみたいな感覚になる。
― 本当に、留学してた時以外はたくさん会ってたもんなぁ。
久しぶりの再会でも全く変わらない正輝の様子に、私はついホッとしてしまう。いや、全く変わっていないわけじゃない。
4ヶ月ぶりに会う正輝には、一つだけ変化したところがあるように見えた。
それは…正輝があまりにも、満ち足りた笑顔を見せることだった。
プロポーズや顔合わせの話を照れくさそうにする正輝は、本当に幸せそうだ。正輝のこんな微笑みは、これだけ長い付き合いの中でも見たことがない。
その一方で──私は上手に笑えているのだろうか?
気を抜けば今にも顔がこわばりそうになるのを必死で隠しながら私は、席を立とうとしている正輝に声をかけた。
「ごめん、正輝…。あと、5分だけいいかな」
「ああ、うん。もちろん。どうした?」
少し戸惑った表情を浮かべながら、正輝がもう一度席につく。そわそわした様子なのは、このあと萌香ちゃんと会う約束をしているからだ。
『少し話したいことがあるから、明日久しぶりに会えない?』
そう正輝にLINEした時。正輝から返ってきたのは、こんな返事だった。
『いいんだけど、萌香の美容院が終わるまでの時間でもいいかな?中目でサクッとランチでもどう?』
あの夏の夜、秀治は萌香ちゃんが、私に密かにヤキモチを焼いていた様子だったと言っていた。
結婚が決まったとはいえ…ううん。決まったからこそ正輝は、萌香ちゃんに余計な心配をさせたくないのだろう。
― このあと正輝は、萌香ちゃんと会う。だとしたら、やっぱり早く話さなくちゃ…。
その一心で私は、ランチの真っ最中にはついつい出しそびれていた封筒を、ゴヤールのバッグから取り出す。
「実は、今日正輝に来てもらったのは、この話をしたかったからなの───」
封筒を取り出しながら私の脳裏に浮かんでいたのは、去年の今頃にママと一緒にディナーに行った夜のことだった。
お店は確か、新富町の『鮨 忠』。
あの夜は、仕事でどうしても遅刻になるという秀治を待たずに始めることになり、ママと2人でゆっくり話す機会があったのだ。
「やっぱり、日本のお鮨は特別ね。ハワイもシーフードは美味しいけど、どうしたってどこか大味だから」
「でも、留学先に遊びに来てくれた時に私がふるまったカリフォルニアロールよりはマシでしょ?」
「そりゃあね!パパなんか、ほとんど手をつけずに残してたわね(笑)」
「ヒューイと違ってパパは、そういうところシビアだったからなぁ」
ママとパパは、私が高校生の時に離婚している。
そしてママは子育てを終えた今はホノルルに移住し、現地で出会ったパートナーのヒューイと共に、不動産セールスの仕事をしているのだ。
時々私の顔を見るためにこうしてフラッと帰国してくれるので、その時は毎回、美味しいお寿司を食べに行くことになっている。
ママと私と、秀治の3人で。
「ごめんねママ。せっかくのお鮨なのに、秀治が遅刻なんてしちゃって」
「いいのよ全然。それに、莉乃が謝ることじゃないでしょ」
「まあ…」と適当な返事をしていると、ママは、いつもなら絶対に言わないような意外な言葉を続けた。
「そんなことより──莉乃は、秀治くんとは結婚しないの?」
そんなこと、今までママから一度だって言われたことがなかった。思わず身構えてしまったけれど、私はなるべくなんでもないことのように答えた。
「うん。何度も言うけど、結構願望ないんだもん。ママだって、ヒューイと長く付き合ってるのに結婚してないじゃない。一緒だよ」
でもママからの返事は、またしても予想外のセリフだったのだ。
「ママのせいだね、ごめんね」
そんなことないよ、と言いかけると同時に、付け台に美味しそうな赤海老の握りが置かれ、会話はうやむやになってしまった。
赤海老のねっとりとした甘味を味わいながら、たった今私が言おうとした言葉を吟味する。
そんなことないよ、とは、言えないかもしれない。
私に結婚願望がないことが、ママとパパの影響を受けていないわけはないのだから。
仲のいい両親だったと思う。
愛された記憶はたくさんあるし、家族行事も多かった。正輝の家族とも一緒にキャンプに行ったりもしたし、パパとママのふたりでデートに行く姿だって数えきれないほど見てきた。
それなのに…あれだけ仲の良かったパパとママは、高校留学から帰ってきたら、離婚が決まっていたのだ。
私が多感な時期だったこともあってか、はっきりと説明されたわけじゃない。
だけど、断片的な言葉を切り張りすれば、要するにパパが不特定多数の女性との不貞行為を繰り返していた…ということのようだった。
あんなに愛し合って仲の良かったふたりが、裏切って、裏切られて、傷つけ合って…どうしてそんなことが起きるのだろう?
そのせいで「結婚」というものに憧れがなくなってしまったというのは、多少なりともあるはずだ。
私には、結婚がわからない。
「ママのせいだね」と言われたままでは、やっぱりいられない。そう思った私は、追っ付け自分の気持ちを説明する。
「なんか、結婚したらどっちかの名字が変わるのとかも、変な感じするし。ママが離婚しても名字を戻さなかったから、私も変わらず“満倉”姓なわけだけどさ」
そう言いながら、ふと思った。ママはどうしてまだ、パパの姓を名乗っているのだろう。
「ねえ、ママはどうしてまだ満倉なの?私ももう立派な大人だし、ヒューイもいるし、パパのこと、ゆるせないでしょ?ずっとパパの名字でいるの嫌じゃない?
私、ママとヒューイが結婚するの、別に反対しないよ」
「莉乃が今言ったじゃない。いまさら名字変わるのも変な感じがするのよ。それに…」
「それに?」
「莉乃が心配するほど、嫌じゃないのよ。なんだかんだ幸せだったから」
「ふーん…そういうもん?」
今夜のママの話は、不思議なことばかりだ。その奇妙な空気に飲まれてしまったのか、普段はあまり飲まない日本酒のせいだったのかは分からないけれど、気がついた時には聞いてしまっていた。
「でもさ、もし過去に戻れたら…またパパと結婚する?」
ママの答えは即答だった。
「もちろん。パパに出会えてなかったら、今の私になれていないもの。莉乃にも会えなかっただろうしね」
そこまで聞いたところで秀治が慌ててやってきて、話は終わりになってしまった。
なんでもない、ママとの他愛もない会話だ。
けれど、萌香ちゃんが他の男性とホテルに入るところを見かけたことを、正輝に伝えるか悩んでいたとき。秀治に「責任取れないからやめたほうがいい」と言われてからというもの、その夜のことが私の中で日に日に輪郭を強めていくのだ。
ママは、私の憧れの女性だ。
自分の力で人生を拓き、多くの友人達と人生を分かち合い、結婚なんて約束がなくても、ヒューイと愛し合って信頼を築いている。
パパにあれだけ傷つけられたのに、「もし過去に戻れたとしても、またパパと結婚する」というママの考えは、私には全く理解できない。
だけど…もしかしたらこれが秀治が言う、「責任が取れない」ということなんじゃないかって。
自分で選んだ愛が永遠の光になるのか、瞬間の輝きになるのかは、その時になるまでわからない。
だけど少なくともそれは、自分の心だけが確認できることなのだ。周囲から持ち込まれる不確かな情報は、きっと感覚を鈍らせる。
私から見ると失敗だったママの結婚のおかげで、今の私がいる。
そして、そんな私を大切に思ってくれる人たちがいる。
ママや秀治。たくさんの友人や、それからもちろん…正輝だってそうだ。
だから私は、今───。
封筒の中から、薄い冊子を取り出す。
正輝の前に差し出したのは──色とりどりのガラスでできた、食器の作品集だった。
「私のジムのお客さんに、最近国内外から注目を集めてるガラス作家さんがいるの。オーダーメイドで作品受注もしてくれるって前に言ってたから、結婚祝いを送りたくて。
この作品集、萌香ちゃんに見せてもらえたりするかな?好みを聞かせてもらえたらプレゼントさせてほしい」
木漏れ日のような、宝石箱のような美しい食器の写真の数々に、正輝の瞳もきらきらと輝くのが見えた。
「ええっ、いいの?萌香、食器とかすごい好きだから、めちゃくちゃ喜ぶと思う」
「よかった!萌香ちゃんって、持ってるものひとつひとつすごくセンスがいいから。私が勝手に選ぶより、萌香ちゃんのセンスで選んでもらえた方が喜んでもらえるかなーって思ったの。
あ、もちろん、普通にお金の方が良かったら遠慮なくそう言ってね」
「いやいや!ありがとう。気が利いてるよ、莉乃のくせに」
「はあ…やっぱりやめようかな」
昼下がりの光の中で笑い合いながら、私は思う。
正輝と私は親友だ。ただの、親友だ。
なんでもかんでも話してわかってもらう必要なんてない。
親友だからってすべてを理解しあうべきだなんて、ゆるされない思い上がりだ。
パパとママの離婚の原因がパパの不貞であることだって、正輝にハッキリ言ったことはない。
たしか何かのついでに「私の大学進学を機に離婚することになったみたい」と、簡単に伝えたことがあるくらい。パパによく懐いていた正輝に、余計なショックを受けさせたくなかったのもあったと思う。
あの夜の萌香ちゃんのことも、正輝には言わないことにした。
パパとママのことが理解できないのだ。夫婦のことは夫婦にしかわからない。
正輝と萌香ちゃんのことも、私にはきっとわからない。
「正輝」
「うん?」
「幸せになってね」
「あたりまえだろ。もう幸せだっつーの」
その言葉の通り、人生で一番幸せそうな笑顔を浮かべる正輝を前に、心の中で密かに思う。
正輝が幸せになりますように。
どんな出来事も、正輝の人生を彩る光になりますように。
お祝いでも、やけ酒でも、どんなお酒にも付き合うのが、私の考える“親友”のあり方だ。
▶前回:「幸せなんだけど、この妙な空気はなに…?」彼女と2人きりの車内、男が感じた緊張感とは
▶1話目はこちら:「彼氏がいるけど、親友の男友達と飲みに行く」30歳女のこの行動はOK?
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萌香の不貞は心にしまうことにした莉乃。一方、萌香が正輝に莉乃とのランチを許可した真意は…?

