師走が近づき、忘年会の幹事は予約に向けて動き始める必要が生じてきた近頃。
忘年会といえば二次会も付き物だが、先日、銀行マンたちがSNSに「会社で問題が起きると会社から『二次会禁止令』が発信され、破ると人事評価に多大な影響を受けます」「二次会禁止令が出ると『ゼロ次会』から始まります」などと投稿し、話題になっていた。
また数年前のコロナ禍では、多くの企業が二次会どころか飲み会そのものを禁止していた。しかし、風評被害や情報漏えいの予防、感染症対策などの理由があるとしても、業務時間外に社員たちが行うイベントを会社が禁止することに法律的な問題はないのだろうか。
規制の根拠は「秩序維持義務」だが…
企業法務を得意とする江﨑裕久弁護士(江﨑法律事務所)は「まず、この話題で多くの方が疑問に思うのが、『そもそも私的な飲み会の二次会禁止ということを会社が決めるのはおかしいのでは?』とか、『そんなルールがあったかな?』という点ではないでしょうか」と語る。
江﨑弁護士:前提として「会社が私生活にまで介入することはできない」ということが大原則ではあります。
しかし、判例上、従業員の側には「企業の秩序を維持する規律に従う義務(秩序維持義務)」が認められており、会社は一定の合理的な範囲において従業員の私生活を規律することができることにもなっています。
もちろん、就業規則に規定がない場合には、違反について懲戒を含む不利益処分を行うことはできず、懲罰をしたとしても違法な処分として取り消しの対象となりえます。
多くの会社では、就業規則に「会社または会社に属する個人を誹謗、中傷し、その名誉、信用を傷つけないこと」や「風紀を乱さないこと」など、抽象的な規定が置かれています。通常は読み飛ばしてしまうところですが、これらの記載が一応の根拠規定に「なりうる」ということです。
「なりうる」と曖昧に言わざるを得ない理由は、ほとんどの場合、上記のように抽象的にしか記載していないからです。
結局、就業規則等の規制は、その行動が企業の円滑な運営や社会的信用を著しく害する場合など、会社の正当な利益を保護するために必要な限度でのみ、認められるということです。
そして、就業規則による規制が有効となるか無効となるかは、その規制の目的と、社員が受ける不利益(制限の程度)のバランス、および合理性によって判断されることになっています。
飲み会の制限については、たとえばコロナやインフルエンザ等の感染症対策であれば、飲み会自体をすべて禁止することが合理的と言える場合があるかもしれませんが、一次会は禁止せず二次会だけ禁止するというのは、どう見ても合理性がありません。
「風評被害や情報漏えいを防ぐため」を、社員の私生活に介入しなければならないほどの合理的な理由として説明するのは、なかなか難しいように思います。泥酔して問題を起こす人がいる場合はあるかもしれませんが、それは個人レベルの話に過ぎません。
SNSで話題となった、問題が起こった銀行における二次会禁止令については「不謹慎な感じを第三者に与えないよう」という趣旨で発信されたものと思われます。
しかし、その趣旨を「企業の円滑な運営や社会的信用」と結びつけることは難しいし、令和の時代では合理性はなかなか認められないでしょう。
不当な処分を取り消させることはできる?
もし就業規則における「飲み会・二次会の禁止」が無効な根拠に基づいていた場合、あるいはそもそも就業規則で明示していないにもかかわらず飲み会や二次会に参加した社員の人事評価を下げる処分や懲戒処分などを会社が行った場合、社員側は処分の取り消しなどを求めることはできるのだろうか。
江﨑弁護士:本来なら、就業規則に規定がない限り、何ら処罰はできないということになります。
しかし、実際には、ほとんどは前述した就業規則中の抽象的な規定に基づいて処分が行われます。
その処分が規定に照らし有効かどうかは、合理的か否かという評価を経て決まることになります。そのため、裁判所等の判断を経ないと判断ができない面があります。
また、懲戒処分などのわかりやすい処罰ではなく、表に出ないところで人事評価が下がるという形で処罰が行われて、周りが年次に従い昇進していくのに自分だけ昇進しない…というケースもあります。
このようなケースでは、あまりに露骨な場合をのぞけば、裁判などでもなかなか争えないのが現状です。建前として、昇進は会社員の「権利」ではなく、あくまで企業側の人事権の裁量になっているためです。
ただし、近年では「一流」と評価される企業は人事評価に透明性をもたらすことに腐心しているため、改善傾向にあるとは思っています。
なお、仮に「二次会禁止」が許される場合には、一次会を「ゼロ次会」と呼ぶことで実質的に二次会にあたる「一次会」を開催・出席しても、実質をとらえ、二次会は二次会として禁止の可否が判断されます。
かつての日本社会では、玉虫色で根拠のよくわからない就業規則が、「なんとなく」でまかり通るところもありました。しかし、社会的な考え方と共に法的な評価も変化することで、昭和や平成前半には正当化されたような判決も現在では認められなくなってきました。
合理的・具体的な理由のない「二次会の禁止」自体が、いまや時代遅れのものとなったために、「ゼロ次会」というジョークの対象になったということでしょう。

