10月21日、高市早苗政権が発足し、自民党と日本維新の会による“連立”が成立した。しかし、維新は閣僚を出さず「閣外協力」に留まっているこの状況は本当に「連立」と呼べるのか。一方、「総理大臣になる覚悟がある」と発言し、批判を浴びた玉木雄一郎国民民主党代表だが、政党の党首が総理を目指すのは当然ではないのか。自民にも立憲にも与しない玉木氏の姿勢こそ、実は「憲政の常道」を守る正しい判断だったのではないか――。混迷する政局を憲政史研究家の倉山満氏が読み解く(以下、憲政史研究家・倉山満氏による寄稿)。

◆自民と維新の連立は本当に「連立」か
先週からの流れの通り、自民党と日本維新の会の「連立」が成立し、高市早苗政権が成立した。ただ、これ本当に「連立」か?少なくとも、我が国では内閣に入って政党同士が協力し合う政権の形態を、「連立」と呼ぶ。
羽田孜内閣は新生党を中心とした連立内閣だった。これに新党さきがけと新党みらいは大臣も政務次官も出さず、「閣外協力」の立場を宣言していた。
続く社会党の村山内閣は、自民党と新党さきがけの三党連立内閣だったが、改造内閣で沖縄開発庁政務次官に自由連合の徳田虎雄代表を採用した。しかし、大臣を出していないので、「自社さ自連立内閣」と呼んだものは誰もいない。
さて、今回の自維「連立」である。維新の藤田文武共同代表は、12項目の連立合意書を突きつけた。これを自民党が丸呑みするような形で、首班指名選挙での協力を取り付けた。だが維新は、大臣はもちろん副大臣や政務官も送らず、「閣外協力」に留めた。
マスコミでも当事者間でも「連立」「閣外協力」が混在しているが、「閣外協力」を「連立」と呼ぶ日本語は存在しない。それとも使い方が変わったか。言葉は生き物であり、武器でもあるので、変化してもおかしくないが。ところで「武器」とはどういうことか。
◆「与党の仲間なのだから約束を守れよ」
維新の内部は、連立前のめり派と反対派に分かれていたと聞いている。前者の代表が遠藤敬国対委員長で、後者のそれが藤田共同代表。賛成派の主張は「与党に入らなければ政策が実現できない」であり、その為には党が潰れるのも辞さない。反対派は党を潰すなどもってのほかだし、そもそも自民党は約束やぶりの常習犯。何度、食い逃げされてきたか。また、党を潰しても良いほどの政策の実現は、余程である。交渉当事者の遠藤国対委員長が首相補佐官として官邸入りするのに留め、約束を破れば即座に完全野党に回れるようにしておいたのは、賢明だ。大臣を出していれば、引き揚げるのも簡単ではない。こういう事情だから、「閣外協力」を「連立」と言い張るのにも、理由がある。この場合の「連立」には、「与党の仲間なのだから約束を守れよ」の意味もある。
さて、選挙前に有権者に公約していない連立政権の形成である。「憲政の常道」に反する。形式的には。しかし、昨年の衆議院選挙でも今年の参議院でも、有権者はどの党にも多数を与えなかった。そもそもが、イギリス憲法に言う「革命に近い状況」である。形式論の前提が崩れている。「憲政の常道」とは突き詰めて言えば、「民意に従う政治を行え」である。選挙前に連立の形を問わなかったが、瑕疵は補えた。それが詳細な「連立合意書」の作成である。連立政権が当たり前のヨーロッパでは、分厚い連立合意書を作成する。それには及ばなかったが、自民党は「約束」の意味が身に染みたのではないか。

