
「タイムパフォーマンス」や「生産性」という言葉が、私たちの日常を支配しています。スケジュールに余白が生まれると、つい「時間を無駄にした」と罪悪感を抱いてしまう。それは、時間をお金に換算する癖がついているからかもしれません。本記事では、53歳で単身スペイン留学に挑んだRita氏の著書『自由で、明るく笑って過ごす スペイン流 贅沢な暮らし』(大和出版)より、スペイン人にとっての「何もしない時間」の価値をご紹介します。
「何もしない時間」にだって、大きな価値がある
日本にいた頃の私は、「休むこと」に、どこか罪悪感を抱いていたように思います。
仕事に家事に人づきあいに、何かをしていることが大事で、何もしていないと「怠けている」とみなされるような空気が、知らず知らずのうちに染みついていました。疲れていても「頑張らなきゃ」、調子が悪くても「気合でなんとかしよう」と、忙しいことが充実している証なんだ、と思い込んでいました。
「何かに追われていないと不安になる」「手を止めることが怖い」。そんな感覚が、いつしか日常になっていたように思います。自分の体調や気持ちよりも、予定や周囲の期待を優先してしまう。ほんの少しでも立ち止まると、「サボっている」と思われるのではないかと気にしてしまう。
今振り返ると、あの頃の私は、ちゃんと「休むこと」の意味を知らなかったのかもしれません。でも、この「常に動いていなければならない」という感覚は、日本社会に深く根ざしたもののように感じます。
電車に乗ればみんながスマートフォンを見つめ、休日でも何かしらの予定を詰め込み、空いた時間があれば「時間の有効活用」を考える。まるで立ち止まることが悪であるかのように、走り続けていました。
でも、スペインに来てから、その価値観がガラリと変わりました。この国の人たちは、本当に上手に「休む」のです。夏になると、多くの人が1ヶ月近い休暇を取り、海辺の別宅や山の村でのんびり過ごします。土日も、朝から予定を詰め込むのではなく、朝食のあとにふらりと散歩したり、親しい人たちとおしゃべりを楽しんだり。「何もしない時間」が、堂々と人生の一部になっているのです。
出所:『自由で、明るく笑って過ごす スペイン流 贅沢な暮らし』(大和出版)
「2泊3日で旅行」を驚かれたワケ
彼らの表情には、時間に追われる焦りではなく、今この瞬間を楽しんでいる穏やかさがあります。この時間に対する価値観の違いを、私は身をもって体験した出来事があります。
以前、「2泊3日で近くのイタリアへ旅行に行く」と友人に話したところ、心底驚かれたのです。「えっ? たった3日? そんなに短い時間で何ができるの?行ったら帰ってくるだけじゃない。海にも行かないの? 山も見ないの? 一体何しに行くの?」と、まるで理解できないといった様子で矢継ぎ早に質問されました。
そのときの友人の困惑した表情を見て、私はハッと気づいたのです。私たち日本人にとっては「効率よく観光地を回る」ことが当たり前になっているけれど、スペイン人にとって旅行とは、もっと深く、もっとゆっくりとその場所の空気を吸い、人と出会い、時間の流れそのものを味わうものなのだと。
彼らにとって2泊3日では、ようやくその土地に慣れ親しんだ頃に帰らなければならない、あまりにも慌ただしい「移動」でしかないのです。
「旅行は少なくとも1週間、できれば2週間はかけるべき」と友人は言いました。「最初の数日はその場所に慣れるため、そして残りの時間でゆっくりとその土地の人になった気分で過ごすの。朝市を散策したり、地元の人が通うカフェでのんびりしたり、夕日を見ながら何も考えずに座ったり。それこそが本当の休暇でしょ」と。
私たちはいつの間にか、休暇でさえも「効率性」や「コストパフォーマンス」で測るようになってしまいました。でも、スペインで学んだのは、時間の「量」ではなく「質」を大切にする生き方でした。
忙しく動き回ることではなく、静かに心を満たしていくことこそが、人生を豊かにする秘訣。そんな時間の使い方を身につけることで、これまで見逃していた人生の美しさに気づくことができるのだと思います。
午後は働かない!? 「シエスタ」で自分を整える時間を大事に
スペインには「シエスタ」と呼ばれる午後の休憩時間があります。その象徴的な光景として、多くの店が午後2時から5時頃までいっせいにシャッターを下ろし、街が静まり返ります。一度家に帰る人も多く、まるで「今日はもう十分働いた」と街全体が言っているようにも見えます。
シエスタの背景には、「(エアコンがなく)暑すぎて働けない時間帯だから」という実用的な理由がありますが、それに加えて、「自分の生活リズムを大切にする」という、文化的な価値観が表れているとも言われています。
疲れたら休む。暑ければ無理をしない。そんな当たり前のことを、この国の人たちはとても自然に、そして堂々と実践しています。
スペイン南部で、あるレストランの店主が言っていた言葉が、今でも心に残っています。それは「僕らは午後は働かないよ。だって、暑いから」というものです。
出所:『自由で、明るく笑って過ごす スペイン流 贅沢な暮らし』(大和出版)
「休むこと」の本当の意味
また、以前、友人夫妻の別宅に誘われて、海辺のマンションで1週間を過ごしたことがありました。この1週間、特別なことは何もしませんでした。朝はゆっくり起きて、近くのお店で買ったパンと果物で朝食をとり、海で体を冷やし、暑すぎる時間は木陰で読書、夕方は海岸を散歩。そして夜は、お酒を嗜みながら、ただ他愛もない話をする。
最初の数日間は、「こんなに何もしていなくて大丈夫なのだろうか」という不安が頭をよぎりました。以前の私なら、観光地を回ったり、何かしら「成果」を求めていたでしょう。しかし、友人たちは私のそんな心配をよそに、本当にリラックスして時間を過ごしていました。
徐々に、私の中で何かが変わり始めました。朝、目覚めたときの清々しさが違う。夕陽を見ながら感じる感動が深い。友人たちとの会話が、より豊かになっている。そんな時間が、心の奥からじんわりと満たされるような「新鮮な幸福感」をもたらしてくれました。
スペインでは、「休むこと」も「くつろぐこと」も、「自分を整えるための時間」として、大切にされています。予定が詰まっていない日を、むしろ「贅沢な1日」として楽しむ人たちの姿を見て、私は初めて「空白の時間」をポジティブに捉えられるようになりました。
今まで、忙しくしていることが目的化してしまい、本来の目標や幸福を見失っていたのかもしれません。「自分を休ませること」は何かを諦めることではなく、“もっと自分らしく生きるための隙間”なのかもしれません。私は、この「隙間」や「余白」があることで、人生により多くの色彩と深みが生まれると思っています。
スペインの人たちは、この余白を恐れず、むしろ、その中にこそ人生の本当の豊かさがあることを知っています。そして、完璧にスケジュールを埋めることよりも、自分の心と体の声に耳を傾ける時間を持つことのほうが、はるかに価値があると考えているのです。
Rita
