内閣府の’22年度の調査によれば、15~64歳のうち推計146万人、実に50人に1人が引きこもり状態(半年以上にわたって家庭にとどまり続けている状態)。年齢別は、40~64歳の引きこもりが約85万人と大きな割合を占める。
そんな働けずに社会から離れたまま年を重ねた引きこもりたちに今、「親の死」という現実が迫っている。引きこもり状態を金銭面で支えてきた親の死後、彼らはどんな現実に直面するのか?
社会との繫がりを断った「大人の引きこもり」が親亡き後に辿る過酷な現実に密着した。
◆長期間の引きこもり状態になった転機は…
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刑務所の赤い塀を見上げて重い口を開いたのは飯野豊さん(仮名・46歳)だ。1年8か月の刑期を終えて’24年春に出所した。宮城県で暮らす彼が長期間の引きこもり状態になった転機は、’11年の東日本大震災だったという。
「当時は気仙沼の借家で祖母と母の3人暮らし。震災で母が右足に大やけどを負い、祖母は車椅子生活になってしまった。僕も18年続けたゴミ収集のバイトが打ち切られて、収入が途絶えるなかで2人の介護を余儀なくされました」
くわえたタバコに火をつけ、次第に行き詰まる生活の様子を飯野さんは呟き始める。
「母はアルコール依存症を患い、やがててんかん発作を起こすようになりました。24時間、目が離せないせいで僕は定職に就くこともできずに介護という名の引きこもり生活がスタート。祖母と母親の年金だけでは生活費を賄えず、祖母が僕のために貯めてくれていた300万円も1年で底を突いた。楽しげな人生を送る友達に引け目を感じて次第に連絡を避けるようになり、社会から孤立していきました」
震災から4年後に祖母が他界。喪失感に苛まれるなかで、さらに母親まで病気に倒れ、余命1年の宣告をされた。
「腎不全と肺がんの併発が原因です。本当に独りぼっちになる恐怖感と何もできない無力感からさらに引きこもり、ゲーム画面に救済を求めた。精神を壊し、家具を破壊していた当時から今に至るまで精神障害の薬は手放せません」
もう少し長生きしたかった――。4年前に他界した母の遺書に綴られた言葉だ。「少し救われました」。目をこすりながら飯野さんはそう呟いた。
◆物欲を抑えきれずに2度の窃盗事件を起こす
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「病気のストレスと無職の焦りをかき消すように、ほとんど外に出ずに毎日寝て起きて、自慰をして過ごす日々。自暴自棄になり、生活保護費は食費以外フィギュアやゲームに注ぎ込みました。それでも物欲を抑えきれず窃盗事件を2回も起こし逮捕された」
刑務所に入っていなければ闇バイトに手を出していたかもと、豪快に笑う飯野さん。現在は仙台市内に移住し、障害者雇用枠で得た月収15万円の清掃業に就いて再スタートの道を模索している。
「僕はおばあちゃん子。母親も離婚した負い目からか甘やかされて育てられ、アルバイトでも不自由がなく、貯金もしてこなかった。そんな自分を悔やみました。正直昔は『なんで俺ばかり』と人生を呪ったけど、今は少しずつ前を向けているはず。将来はリサイクルショップを出したいからそろそろ貯金を始めないと。でもまずは明日の給料日にトイレットペーパーを買います」
再生の道を踏み出した彼の前途が明るいことを祈りたい。
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