いつまでも輝く女性に ranune
「1浪6留」を経て大学中退、実家で暮らす30代男性が感じる“生きづらさ”の正体。「人とつながる力が極端に弱いから…」

「1浪6留」を経て大学中退、実家で暮らす30代男性が感じる“生きづらさ”の正体。「人とつながる力が極端に弱いから…」

◆「生きていたくない」と両親に打ち明けた

――通っていた高校は非常に厳しいところだったとか。

久保田:いわゆる“自称進学校”で、優秀な生徒もいるにはいたから、先生たちも「学校を信じてついてくればいい大学へ入れる」みたいな熱気を帯びていて、息苦しく感じることもありました。くわえて、強豪の部活動でもありましたから、そこに所属している生徒は一般の生徒よりも模範的な振る舞いをすることが善とされていたんです。

 ところが先ほどもお話したとおり、私は注意力が散漫で、しばしば宿題を忘れるなどの“粗相”がありました。そのことは部活の顧問にもすぐに共有されて、部活中に呼び出されるなど、気が気ではなかったですね。

 高2くらいのとき、「生きていたくない」という気持ちになりました。それを両親に打ち明けたとき、特別何かを言われたわけではないものの、泣かせてしまって……。そうした生活に耐えられずに、中退をしたんです。

――高校中退後、大学も6回留年しています。

久保田:はい、大学は結局辞めることになってしまうのですが、当時30歳近くになっていました。大学は関西圏にある国公立大学の英米学科に進学するのですが、精神的に徐々にきつくなっていくのが自分でもわかりました。家から出ることができなくなり、単位も遠のいていきました。それでもお情けでほとんどの科目で単位をもらえたのに、卒業論文が一文字も書けなかったんです。

◆休養を経て、就職するも…

――精神科の診断はどのようなものだったのでしょうか。

久保田:大学を辞めたあたりで受診したとき、発達障害があるうえに気分障害や不安障害が併発していると指摘されました。思い返せば、高校時代からそうした傾向はあったのかなと思います。

――大学を辞めたあとは、どのように過ごされるのでしょうか。

久保田:実家に帰り、半年間休養したあと、警備員として就職しました。しかし自分の状況を客観的にみたとき、障害者雇用の枠で仕事をしたほうがいいのではないかと考え、障害者の職業センターに通うことにしました。そこの支援を受けて、病院事務の仕事を数年していましたが、今年退職しました。現在は求職中です。


配信元: 日刊SPA!

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