
お金は「稼ぐより、守るほうが難しい」。特に、相続や退職金などで予期せず手にした大金は、その典型かもしれません。 これまで経験したことのない金額を前に、人は舞い上がり、あるいは不安に駆られ、普段ならしないような判断ミスを犯しがちです。本記事ではFPオフィスツクル代表の内田英子氏が、Aさん夫婦の事例とともに、そんな「突然の富」に翻弄されず、資産を守り抜くための視点について解説します。※本記事で取り上げている事例は、複数の相談をもとにしたものですが、登場人物や設定などはプライバシーの観点から一部脚色を加えて記事化しています。読者の皆さまに役立つ知識や視点をお届けすることを目的としています。
「年金20万円」の夫婦が、突然「億」の世界へ
Aさんは66歳。地方の中小企業に長年勤め、定年まで真面目に働いてきました。定年前の役職は課長。年収は高くありませんでしたが、家族を路頭に迷わせることなく働き切ったという誇りを持っています。妻のBさんもスーパーのレジやクリーニング店の受付といったパートを続け、家計を支えてきました。
2人はいわゆる「ふつうの」夫婦でした。老後資金の柱は手取り月20万円の年金だけ。月に入るお金は限られているので、定年退職後もパートで働き、贅沢とは無縁の暮らしを送っていました。「海外旅行なんて、テレビでみるものでしょ」と、Bさんは録画した旅番組を観て満足していたのです。
そんな夫婦の暮らしが変わるきっかけは、ある日かかってきた突然の電話でした。
「お兄さまの件でお話がありまして……」
Aさんの実兄が急逝し、兄の遺産を、Aさんが受け取ることになったのです。兄は独身で、唯一の相続人はAさんです。若いころから商売で成功してきた兄が遺した資産はなんと2億円――。
「いやいや、2億なんて……ウチみたいな年金暮らしにそんな金額、関係ないですよ」Aさんは本気でそう思っていました。ところが、相続手続きが進み、自身の口座に、みたことのない桁数の数字が並んだとき、心臓がドクンと力強く打つ音が聞こえました。
「え、これ、本当にウチのお金なの?」通帳を前に、2人は顔を見合わせました。
「やっと、私たちも『ふつう以上』になれたのかな」
夫婦の心のブレーキが、少し緩んだ瞬間でした。
ファーストクラス旅行、外車、別荘下見…「贅沢」は加速する
お金は、人の金銭感覚を“ゆっくり”ではなく“瞬間的”に変えることがあります。突如として2億の資産を手に入れたAさん夫婦は、舞い上がり、「これまでできなかったことをやり尽くそう」と行動を開始します。
まずは何度もテレビでみたヨーロッパ旅行。これまでは「成田発8日間65.8万円」といったツアーパンフレットを眺めてはため息をつくだけでしたが、旅行会社では迷わずこう伝えました。
「いちばんいいプランを組んでください」
初めて座るファーストクラスのシートの感触、雲の上で注がれるシャンパンの泡。胸の高鳴りは止まらず、高級ホテルの広大なスイートルームに足を踏み入れた瞬間、レストランで値段をみずに注文。夫婦の脳内にはアドレナリンが駆け巡るのを感じました。慣れない刺激に、何度も夢ではないかと互いの頬をつねり合ったほどです。
気づけば、はじめてのヨーロッパ旅行で使った金額は400万円に達していました。
「これまでの苦労がやっと報われたんだね」美しい異国の夕陽の中で、2人は涙を流したのでした。
