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トー横キッズ「自分は恵まれていた」能登ボランティアで生まれた“罪悪感” 被災地の現実が与えた「気づき」とは

トー横キッズ「自分は恵まれていた」能登ボランティアで生まれた“罪悪感” 被災地の現実が与えた「気づき」とは

新宿・歌舞伎町の東宝ビル横、通称「トー横界隈」。

ここに集う若者たちは「トー横キッズ」と呼ばれ、非行や逸脱の象徴として語られる。しかし、その背景には家庭や学校での孤立、経済的困難などさまざまな事情がある。

こうした困難を抱える若者を支援する一般財団法人「ゆめいく」(天野将典代表理事)は、彼らとともに被災地に訪れる復興支援ボランティアを続けている。

参加者たちは何を思い、どう感じたのか。話を聞いた。(ライター・渋井哲也)

初めて魚をさばき、仮設住宅で被災者の話を…

2024年1月1日に発生した能登地方を震源とする地震(M7.6)。震度7を記録した輪島市では家屋の倒壊、土砂崩れが相次いだ。

同年9月、追い打ちをかけるように、能登半島を豪雨が襲った。これによって被害が拡大した。現在でも多くの住民が仮設住宅での生活を余儀なくされている。

「ゆめいく」では、今年10月、3度目となる能登でのボランティアを行った。

参加を希望した若者たちは、合計11人。このうち4人に話を聞くことができた。

今回初めて能登を訪れたというSさん(13歳)は、中学2年生の女子。

「学校ではハブられたり、『ブス』と言われたりしていて、小3の頃から『死にたい』と思っていました。気が弱いから何を言ってもいいと思われたんだと思います。友達に助けを求めたこともあったんですが、(意に反して)スクールカウンセラーや親にも伝わってしまった。辛さを抱えていると思われたくないから、相談するのも嫌だったのに…。

中学校や家でも『死にたい』という思いが消えず、インターネットで『トー横』を検索しました。悪い場所といううわさもあるけど、私にとっては居場所。トー横で出会った人々がいなければ今の私はいないです」

Sさんは、OD(オーバードーズ)や家出も経験した。市販薬のODをした後、飛び降りを考えたが、ODによって動けず、結果的に命拾いした。ただ、「(性の対象として)少女を狙う人や違法薬物が身近にある」というトー横の状態に嫌気が差し、今はさいたま市・大宮駅周辺の「大宮界隈」に出入りしているという。

能登に足を運んだのは「自分の目で見てみたい」と思ったからだったが、実際に被災地を訪れると「流木や土砂、家屋の崩壊に絶望感を抱いた」という。

「仮設住宅で10人以上の高齢者の女性と話しました。土砂崩れで松の木に掴まっていた家族が流された、という話も聞きました。家族を失った悲しみに比べ、自分の悩みがちっぽけに思えた。自分には家もあって、家族もいる。恵まれた環境にいると思うと同時に罪悪感も感じました」

これまでやったことがなかった「魚捌き」も学び、世界が広がったという。

「魚は好きじゃなかったけど、教えてもらいながらサバやカレイを捌いて食べたら美味しかった。ボランティアは自分のためにも、被災者のためにもなれた」

被災地の姿に「言葉が詰まった」

男子大学生のMさん(19歳)は、高校時代に興味本位でトー横に足を踏み入れた。

家庭環境に問題は「特にない」といい、今はトー横から離れ勉強を目的とする「お勉強界隈」や横浜ビブレの横「ビブ横」に顔を出す。その理由は「歌舞伎町は警察が怖いけど、横浜は警察が来ないから」。

「(トー横やビブ横などの)界隈では自分らしくいられるんです」

そう話すMさんも、今回、能登半島を初めて訪れた。

「輪島市の山間部で、農家の水路づくりを手伝いました。土砂災害の現場を見たのは初めてで、言葉が詰まりました。現地では地震が起きる前の写真も見せてもらいましたが、変わり果てた姿に衝撃を受けました。自分の視野が狭かったことを知りました」

被災者の言葉に気づかされたボランティアの立ち位置

Rさん(18歳)は現在、飲食店で働いている。トー横界隈に足を踏み入れたのは22年10月。恋人に誘われて行ったが、当時は「トー横」という言葉すら知らなかった。

「中3当時、学校に行かずストレスを抱えていました。部活動では結果を出せたけど、勉強は頭が悪くて結果がついてこなかった」

学校を1週間休むと、周囲から冷たい視線を感じて、「歓迎されていない」と思った。一方、界隈では似た境遇の人々とすぐ友達になれて、「みんなと話せる」のが救いだった。

「界隈の若者たちはお互いどんな過去があったのかなど知りません。いまの自分のことしか知らないのがよかった」

Rさんは、旅行などで北陸に訪れたことはあった。しかし、石川県はボランティアで訪れたのが初めてだった。

元旦のニュースを見て「自分にできることを考えたい」と思ったのが、ボランティアを志望したきっかけだ。

「仮設住宅に住む80歳前後の3〜4人と話しました。70代の人が『ボランティアはありがたいが、自分ができることを見失う』と話していたことが印象的でした。ボランティアは被災者に役に立つことだけど、しすぎてしまうとできることを見失う人がいるんだと学びました。

スーパーで出会った80代の人は、自分がずっと住んでいた場所に愛着があって、地元愛を感じました。でも(地元で被災をしたら)自分なら戻ってこないかも」

ボランティア「なぜ行ったの?」答えたい

Tさん(17歳)は高校3年の女子。「居場所がない」と思っていた中学生の頃にTikTokで動画を見て「トー横」に辿り着いた。すぐに輪に入れて、週3回ほど訪れるようになった。

「中学時代は不登校気味で、受験のしんどさから家でODもしました。トー横は同じ周波数の人がいて、心地よかった」

能登へのボランティアは、3回目。

中学の修学旅行でも震災前に能登を訪れていたが、震災後、ボランティアで訪れたときの印象をこう振り返る。

「めっちゃ更地じゃん、と(地震の)実感がわきました。無力感を抱いたんですが、私は当事者じゃないとも思ったんです。地域による復興の落差など、ニュースでは語られない部分も見ました。みんなが関心を持つべきだと感じます」

今回のボランティアでは高齢者の草むしりを手伝い、仮設住宅ではネイルをし合うなど交流を深めた。

「被災地に残りたいという被災者とも話しましたが、(能登は)それだけ魅力がある。私も移住したいと思っています」

Tさんはこれまでの3回のボランティアを通じて自身の成長も実感しているという。

「今回は、被災者に尽くせるかを目標にしました。というのも、前回の反省会で、他の参加者からの『なぜ行ったの?』という質問に答えられなかったんです。そんな自分が嫌だった。だから今度はその質問に答えたいと思いました」

目標をもってボランティアに取り組んだことで、日常にも良い影響があったという。

「普段でも、自分から動けるタイミングが増えました」

人との“接し方”考える経験に

若者と被災地でのボランティア活動に取り組む「ゆめいく」の天野代表理事はこう述べる。

「家庭環境の問題を抱えたり、疎外感を感じたりしている若者たちに、被災地の現実を見せたいという思いがありました。家や親、子どもを失った方たちの話を聞き、今の自分と比べて欲しかった。

若者たちは、1か月前から会議を重ね、『どんな気持ちでボランティアをしにいくのか』目的や課題を共有しました。その甲斐あって、現地ではみんな良い顔で、人との接し方も違っていました。

被災地の役に立ちながら、若者たちも被災地の方からいい影響をもらえる。継続的に活動を続けていきたいです」

■渋井哲也
栃木県生まれ。長野日報の記者を経て、フリーに。主な取材分野は、子ども・若者の生きづらさ。依存症、少年事件。教育問題など。

配信元: 弁護士JP

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