いつまでも輝く女性に ranune
お金があれば「FIRE後は自由」になれる…はもはや幻想?自由も幸せもすり抜けていく〈早期リタイア〉の落とし穴

お金があれば「FIRE後は自由」になれる…はもはや幻想?自由も幸せもすり抜けていく〈早期リタイア〉の落とし穴

経済的自立を果たし、早期リタイアして自由に生きる「FIRE」というライフプラン。FIRE後の生活を満喫する上でも、資産運用のために投資を実践する人は多いでしょう。しかし、「お金があれば自由になれる」という幻想を抱いてしまうと、投資に失敗して資産を失うことにもつながりかねません。資産形成を確固たるものにするには、長期的に優良企業と伴走して自己資産を形成する「オーナー型株式投資」の考えが1つの参考になります。本記事では、ファンドマネージャーの奥野一成氏が、FIREへの懸念と自身が提唱する「オーナー型株式投資」の本質的価値について解説します。

FIREという幻想〜お金にとらわれるな~

FIRE(Financial Independence, Retire Early)という言葉が広く語られるようになりました。「経済的に自立し、早期にリタイアして自由に生きる」という理念は、一見すると合理的で魅力的な生き方のように映ります。

しかし、「お金があれば自由になれる」という発想の裏には、「お金がないから自由になれない」という前提が潜んでおり、逆説的ではありますが、この考え方は「お金への従属」を意味しているのです。真の自由とは、外的な条件に依存せず、自らの意思と価値観によって生き方を選べる状態を指すはずです。FIREが提唱する自由は、実のところ「お金に縛られた不自由の裏返し」なのかもしれません。

FIREを目指す人々の中には、お金の本質に対する理解が浅いまま、早期リタイアを目的に掲げてしまっているケースも少なくないように思います。本来、お金とは他者への価値提供の結果として得られるものであり、目的ではなく手段にすぎません。にもかかわらず、資産額やリタイア年齢といった「結果」ばかりに焦点が当たり、肝心の「価値をどう生み出すか」というプロセスを軽視してしまう。これは因果関係を取り違えた思考であり、持続的な豊かさから遠ざかる行動でもあります。

たとえばイソップ童話の「金の卵を産むガチョウ」のように、短期的な利益に目を奪われ、本来育てるべき価値の源泉を自ら断ち切ってしまうことになりかねません。これはある意味、「考えない人間」の一類型なのだと思います。

さらに、FIREを追い求めるなかで「労働=苦役」という誤った前提が強化されているようにも感じます。将来の自由のために今を我慢する――確かに一見、努力の美徳のようにも見えますが、その実、今この瞬間の意味や価値を否定してしまっている側面があります。

しかし労働とは本来、「他者の課題を発見し、それを解決する」という意義ある営みです。すべての仕事が楽しいとは限りません、むしろ辛い事の方が多いでしょう。しかしそうであっても「誰かの役に立っている」という実感こそが働く喜びそのものであり、精神的な自立の源でもあるのです。このような「今ここにある価値」を無視した生き方は、どれだけ資産を築いても、心の豊かさにはつながりません。

このように考えると、FIREという概念は、社会との積極的な関わりを重視する「労働者3.0」や「オーナー型株式投資」の思想とは、決定的に異なるスタンスに立っているでしょう。労働者3.0は、事業の本質を理解し、他者と共に価値を創出する主体的な働き方を志向します。オーナー型株式投資もまた、企業の成長に資本を通じて参画し、資本家として社会の価値創造を加速させ、その果実を長期的に享受するという、社会との連続的な関わりの上に成り立っています。

どちらも、「お金はありがとうのしるし」であるという、お金の本質を理解した上での実践がベースとなっています。FIREのように「社会から離脱する自由」ではなく、「社会の中で価値を生み出しながら自立する自由」こそが、持続的な幸福と真の自由に通じる道だと、私は信じています。

オーナー型株式投資がつくる豊かな世界

オーナー型株式投資は、単にお金を増やす手段ではありません。それは、個人のキャリアと経済的自立を支えるものであると同時に、社会に働きかけ、良き企業の成長を通じて豊かな未来を共に創り出す手段でもあります。

だからこそ、「もうお金は十分にあるから、投資の必要はない」と考える人にとっても、オーナーとしての投資には意味があります。自らの資本をどの企業に託すかという行為は、どんな社会を構想するのかという意思表示であり、まさに自己実現と社会貢献の交差点となります。利己と利他を調和させるその構造にこそ、オーナー型株式投資の本質的な意義があるのです。

日本では、企業が稼ぐことに対して「儲(もう)けすぎ」という言葉で批判的な視線が向けられがちです。利益をまるで汚れたもののように見る風潮さえあります。

たしかに、ブラック企業のように、従業員を酷使し、顧客を欺く企業が存在するのは事実です。しかし、そうした企業が上げる利益の規模はたかが知れていますし、長期的に顧客や従業員を欺き続けることなどできません。不正に基づく利益は「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさずにしてもらさず」、いずれ露見し、市場からの退場を余儀なくされるのです。

一方で、顧客第一を掲げながら安売りに走り、利益を出せない企業も少なくありません。しかし、それは単に顧客の分かりやすい目の前にあるニーズの奴隷になっているにすぎず、顧客の本質的な課題を解決しているとは言えません。

特に先進国の消費者にとっては、財やサービス単体の「価格」「機能」以上に、デザインや包括的な利便性などの「意味」に購買行動の重点が移っているのです。企業の利益とは、単なる「安く作って高く売る」結果ではありません。顧客や社会の課題を発見し、それを解決した対価なのです。

大きな利益を上げる企業とは、「大きく」顧客や社会の課題を発見・解決する企業なのです。そしてまた、その企業が10年、20年、30年とその大きな利益を増大させ続けるということは、その企業は顧客や社会の課題を解決し続ける「偉大な企業」なのです。
 

[図表]オーナー型株式投資は豊かな社会をつくる


あなたがその「偉大な企業」の株主になることでその持続的かつ巨大な利益の一部をオーナーとして享受できることは、数学的・法律的に約束された当然の事実であるとともに、結果的には社会が少しずつ、しかし確実に良くなっていることも意味しているのです。これこそがアダム・スミスが約260年前に提唱した「神の見えざる手(=資本主義の原理)」なのです。

あなたにおすすめ