◆演出なしの“リアル”が危うさを生む
けれども、ポンコツらいすは、そうした書き割りを否定しなければ成り立たないチャンネルです。家庭の生々しさ、夫婦でありながら同時に男と女であるという性のえげつなさを包み隠さないことが、すべて日常の暮らしの中で繰り広げられていることで価値を持つ。
そして、その種のリアルさは、編集や検閲という第三者の目を通していないことで、さらに価値が上がります。剥き出しの撮って出しだからこそ、一般人の“リアル”が重宝されるのです。
しかし、倫理と道徳の審査を経ずに世に出たエンターテイメントは、しばしば脱法性を帯びます。もちろん、そうした表現行為をすべて否定するものではありません。ただし、ポンコツらいすの最大の問題点は、その真っ只中に丸腰で子供が置かれていることなのですね。
つまり、子供の前で「邪魔」と言ったり、お風呂に入るのを誘ったり、夫婦の性生活について話したりするという具体的な行為以前の問題として、ポンコツらいすのやっていることは、構造的に虐待にならざるを得ないということなのです。
◆AIでは救えない“倫理の穴”
そこで気になるのは、動画コンテンツのチェック機能についてです。年々アルゴリズムの精度が高まり、NGワードやスパム行為を即座に検出して問題のあるアカウントをすぐに停止できるようなシステムが強化されてきているのは周知の通りです。けれども、今回のポンコツらいすのように、人間の生活上の文脈から引き起こされる不快感や、倫理的な是非については、結局は感情や道徳観念などの人間による原始的な編集機能に頼らざるを得ないのではないか。
そんな現実も映し出しているように感じます。
テクノロジーの目をかいくぐってバズった夫婦。ポンコツらいすとは、皮肉な名前をつけたものです。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

