骨形成不全症とともに生きる咲さん(26)は、身長103センチで車椅子生活を送る女性です。現在はYouTubeやSNSでの発信、講演活動を行いながら、自身の経験を伝えています。
今回は咲さんに、幼少期から80回骨折したという壮絶な半生、またその過程で育まれた人生観について伺いました。

◆幼少期から“骨折する日常”
ーーお生まれになってから幼少期の頃の咲さんについて教えてください。咲さん:両親は、私が生まれる前に病院から「この子は足に障害を持って生まれてくるかもしれない」と言われていたと聞きました。生まれたときにはすでに骨折していて、骨形成不全症だと分かりました。
ーー生まれたときから骨折とは、どういうことなのでしょうか。
咲さん:原因は分かりませんが、母のお腹の中で動いたか、生まれるときに力が加わり骨折したみたいです。
小さい頃は、自分の障がいのことなんてまったく分からないので、少し動いただけ、手を振っただけで何度も骨が折れました。当時は私の障がいを知らないお医者さんも多く、触診中に別なところが折れたり、無理に動かして治りかけの部分がまた折れたりすることもしょっちゅうでした。
家族は、レントゲン室から聞こえる私の泣き叫ぶ声が苦痛だったようです。ある先生が「この子の障がいは見守ることしかできない。本当に痛くなったら泣くんだから、固定だけしてしばらく様子を見ましょう」と言ってくださって、通院回数が減りました。
ーー幼稚園や保育園などには行かれましたか。
咲さん:障がい者の方々が通う幼稚園に行き、洋服の着替えやお手洗いの仕方など、一人でできることを増やしてもらいました。でも、私は面倒くさがりな性格で、いかに人に助けてもらえるかを考えていました(笑)
◆小学校から普通学校に通うことを決断

咲さん:小・中学校は、社会を勉強させておきたいとの親の意向から、教育委員会と打ち合わせを重ね、普通学校に行くことになりました。
障がい者が普通学校に行くことに賛否両論ありますが、社会に出たらほとんどが健常者ですし、私は「周りに歩幅を合わせる」という意味ですごく鍛えられたと感じています。
ただ、いじめを受けたり、逆に周りに迷惑をかけすぎていたりしたらよくないとのことで、母から定期的に「今の学校はどう?」「もしも辛いことがあれば特別支援学校に行くこともできるからね」と声をかけてもらってましたね。
ーー普通学校での生活で、大変だったことはありますか。
咲さん:ありがたいことに友だちにはとても恵まれ、いつも誰かが隣にいてくれました。
案外、障がいのことって子どもたちのほうが柔軟に対応してくれるんです。もしかしたら、私のことをよく思っていない人もいたかもしれないけど、態度に出さず見守ってくれていたと思います。今でも声をかけてくれたり、遊びに誘ってくれたりする人もいます。
困ったことを強いて言えば、先生との関係がちょっと難しかったです。
ーーたとえば、どんなことですか?
咲さん:先生たちって過剰なくらい心配してくれて……それが心苦しかったです。私のことなのに、両親と先生の間で知らぬ間に決定されてしまうことが多くて「こっちに話してくれてもいいじゃん」と思っていました。
あと、学校生活のことではありませんが、思春期特有の悩みもありました。私は障がいの影響もあってか、女の子の日や胸が大きくなるのが遅かったので、自分は今後どうなっていくんだろうという不安はありました。
ただ、この悩みは成長するにつれて解消されていきましたね。

