「AIを上手に使う人とそうでない人を見比べると、そこには“ある差”があります」と話すのは、シアトル在住で米GAFAMで働く日本人、福原たまねぎ氏だ。福原氏の所属先では経営陣が率先して「AIをたくさん使おう」と大号令を発し、社内では徹底的に活用するムードが漂っているという。
では、そんな環境下でも「上手に使う人/使えない人」にはどのような差があるのか?解説してもらった。(以下は福原氏による一人語り)

◆6時間かけてAIを徹底トレーニング
先日、僕の所属先の同僚が「6時間かけてAIを徹底的にトレーニングした」と話していました。その結果、「すごく優秀な文章執筆マシンになって、“もう一人の自分”ができた」と。では、どんなトレーニングをしたのかというと、過去の自分が作った文章や優秀な同僚が書いた文章など、大量のデータをAIに“食わせた”そうです。このようにAIを上手に使うこなす人は独自のカスタマイズをしたりして、AIを「真に使えるツール」にしています。文章の癖や思考のパターンまで学習させ、「もう一人の自分」とでも言うべきAIアシスタントを完成させています。
ただ、これはある程度の経験値を積んだ人だからできることです。なぜなら、データを大量に学習した末にAIが生み出すアウトプットを「優秀か否か」と判断できる人じゃないとダメだから。反対に新卒の人などは、良いか悪いかという“ボーダーライン”がないので、結局はAIのアウトプットに対して自分で判断ができません。
◆「AIが書いた小説」の出来栄えを判断できるか?
AIを使ううえで重要なのは、「何が良いアウトプットなのか」という基準、つまり品質のボーダーラインを自分の中に持っておくことです。書く作業はAIに任せても、少なくとも優れたアウトプットを読んで、「これなら上司に褒められるレベルだ」「これならプレゼンに耐えられる文章だ」という基準を知っておく必要があります。2024年に芥川賞を受賞した作家・九段理江さんは受賞作品の一部をAIに書かせたことで話題を呼びました。九段さんは今年には「95%生成AIで書いた」という短編小説も発表していますが、これは単に「AIが優秀な小説的文章を書ける」という話ではないと思います。
むしろ作家自身が非常に高い“判断基準”を持っていたからこそ、AIのアウトプットを的確に判断し、活用できたのだと思います。もし基準値が低い人が同じことをすれば、凡庸なインプットから凡庸なアウトプットが生まれ、それに満足して終わってしまうでしょう。


