ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――。そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。今回訪れたのは、渋谷にあるお好み焼き店『たるや』。まもなく創業100年を迎えるお店であると耳にした著者の願いは今日も「すこしドラマになってくれ」
◆そして歴史は更新される【渋谷駅・たるや(お好み焼き・もんじゃ屋)】vol.21
小6の頃に私の街に越してきた転校生は、なにかと発言のスケールが大きかった。「私、22世紀も生きるのが目標なんだよね!」
ある日の給食の時間、ガハハと笑いながら彼女が言った。当時1998年。22世紀は100年以上先のことだった。
わざわざ「100年」とは言わずに「22世紀」と言ったところが、彼女の器の大きさを象徴しているように思えた。彼女には「宇宙」とか「白亜紀」とか、なぜかそういう、とても大きな言葉が似合った。
その人のことを思い出したのは、渋谷駅から徒歩10分、道玄坂の途中にある百軒店のお好み焼き店「たるや」が、もうすぐ創業100年を迎えると聞いたからだった。
猥雑さと昭和の薫りが今も残る百軒店エリアは、かつては渋谷の中心地だった。その歴史は関東大震災の翌年にまで遡るらしいが、私はユーロスペースやSpotify O-EASTに映画やライブを観に行くときに早足に通過するくらいで、その歴史の凄みをあまり実感せずに生きてきてしまった。
「たるや」もまた、創業昭和6年と、本当に古くから百軒店を支えてきたお好み焼き屋だった。
引き戸を開ける。エアコンの冷気とともに、鉄板の熱も届く。靴を脱いで上がる座敷席がメインで、壁にはジャズミュージシャンのポスターや写真が飾られている。BGMも、しっかりとジャズである。
座敷席に座ると、若い女性店員さんが注文を取りに来る。ハイボールと、酒の肴として人気だというもんじゃ焼きの「塩味」を頼んだ。
まだ店は空いていたので、アルバイトと思われる女性店員さんに一つ尋ねてみた。
「ジャズは、ここの店長さんの趣味とかですか?」
「あ、店長、私です。けど、これは先代の父の趣味です」
「え!」
はい、完全にやらかしました。外見で判断するな、といろんなところで言ったり聞いたりしていたクセに、がっつりと偏見を抱き、目の前の女性は店主ではないと思っていたのだ。すみませんとすぐに謝罪したが、慣れてますから、と言いたげな笑顔を浮かべられたことで、さらに申し訳なくなった。
「3代で100年ってよく言いますけど、今、創業94年。うちは4代目の私で100年になりそうです。どうにかやっていけるよう頑張ってます」
和式トイレを洋式に変えたり、クレジットカード決済を取り入れたりと、店長は若くして活躍するとても優秀な人だった。
しばらくして、お茶漬けの素と餅、明太子が入った「塩味」のもんじゃ焼きが運ばれてきた。野菜や具で土手を作り、汁を流し、きつね色になるまで待つ。とても完成形とは思えないビジュアルに、いつものように戸惑いながら口にする。塩味のもんじゃは初めてだったけれど、これが本当に、酒が進む味をしている。美味しい。ひたすら飲んで、黙々と食べる。
ふと、横の壁の文字に目がいく。「食事処です 盛り上がり禁止」「大声での会話はお控えください」。それらの文言の下に、とても大きく「静」と書かれている。寺院にでも訪れた気分になるが、それでも、店内に緊張した空気はなく、みんな和気藹々と食事を楽しんでいる。きっと94年間にわたり、少しずつバトンを繋ぎ、この空気をつくり上げてきたのだろう。
22世紀まで生きることを目標に掲げた転校生を思い出す。彼女は、今も元気にやっているだろうか。この店のように、着実に日々を重ねていくのだろうか。熱を持ったままの鉄板を眺めながら、100年という眩暈(めまい)がしそうな、果てしない年月のことを思った。

―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―
【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」

