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【大人の京都旅】誕生から100年 暮らしに寄り添う美「民藝」をめぐる旅 作家たちの愛した甘味も♡

【大人の京都旅】誕生から100年 暮らしに寄り添う美「民藝」をめぐる旅 作家たちの愛した甘味も♡

こんにちは、奈良在住の編集者・ふなつあさこです。今回は、京都市京セラ美術館で開催中の特別展「民藝誕生100年—京都が紡いだ日常の美」(〜12/7・日)を中心に、今なお愛される日常の美・民藝に関するスポットを訪れました。

民藝運動とは、思想家の柳宗悦(やなぎむねよし)さん、陶工の河井寬次郎さんと濱田庄司さんが京都に集うことで始まった一大ムーブメント。大正15年(1926)に提唱されたことから、今年で誕生100年の節目の年を迎えました。それまでの工芸というと観賞用の作品が主流でしたが、柳さんたちは名もなき職人たちが生み出したふだんづかいの生活用品を「民藝(=民衆的工芸)」と名づけ、その美しさを世に訴えたのです。

と、色々語りだすとややこしいですが、見れば単純明快。可愛い! 素敵! こんなふうに暮らしたい! そんなお手本を探しに、京都・民藝旅へと出かけましょう。

京セラ美術館に民藝の名品が大集結 「民藝誕生100年—京都が紡いだ日常の美」展

私が子どもの頃、母に連れられて訪れた東京・駒場の「日本民藝館」。そこには、丁寧に作られているけれどどこかのんびりした表情の家具や、あたたかな雰囲気の道具、ほっこり愛らしい器が並んでいたことをぼんやり覚えています。私の民藝の原風景はそんなイメージです。

恥ずかしながら、そのまま民藝について深く考える機会を持たずにきたのですが、民藝という言葉が誕生して100年を迎えることを記念して開催中の特別展を訪れて、子どものころの直感がそんなに的外れでもなかった気もしています。

河井寬次郎「狛犬脇息」1943年 河井寬次郎記念館蔵

だって、ほら。こんなに愛らしい! こちらは河井寬次郎さんが作り、ご自身で愛用していた「狛犬脇息」(1943)。留め金を引き抜くと開けることができ、小物入れになっています。飴玉などを入れていたそうです。

木喰上人「地蔵菩薩像」1801年 日本民藝館蔵

1923年の関東大震災で被災し、京都に移り住んだ柳宗悦さんが別の調査で訪れた蒐集家・小宮山清三さんのコレクションのなかから偶然この「地蔵菩薩像」に出合い、ひと目惚れしたことが民藝運動のきっかけとなります。

当初は誰が作ったかもわからないままに、柳さんはこの仏像に毎晩見入り、思索をめぐらせたといいます。のちに江戸時代・寛政頃の僧侶・木喰(もくじき)明満の作とわかり、木喰さんの手による仏像は「木喰仏」と呼ばれるようになります。

同じく震災をきっかけにイギリスから帰国し京都に暮らしていた陶芸家の濱田庄司さんが友人でやはり陶芸家の河井寬次郎さんを連れ、柳さんの京都の家を訪れます。柳さんに木喰仏を見せてもらった河井さんも、その魅力の虜に。

実はそれ以前には、ちょっとしたわだかまりを抱えていた柳さんと河井さんですが、木喰仏が仲を取りもち、三人は日本全国木喰仏探しの旅へと出かけます。その旅により、各地で無名の職人たちが生み出す日常の道具に美を“発見”し、雑器や下手物(げてもの)などと呼ばれていた民衆的な工芸の略称として「民藝」という言葉を生み出すのです。なんてドラマティック!

柳さんたちは、日本各地の民藝を調査し、収集していきます。今でも開催されている京都・東寺の弘法市や北野天満宮の天神市などにも熱心に通い、買い集めたそう。コレクションは昭和2年(1927)に銀座・鳩居堂で開催された「日本民藝品展覧会」で初披露されます。それ以後、民藝品の展示を各地で重ね、柳さんたちは民藝という新しい美的価値観を世に発信。

今回の展示でも、柳さんたちが集めに集めた民藝運動以前の民藝品が展示されています。

何気ない生活の道具のなかに見過ごされてきた美を見出し、学ぶなかで河井さんや濱田さん、さらに共鳴する作家たちが集い、作品が生み出されていきます。

河井寬次郎「食器一式(酒器3種、ぐいのみ4種、スリップウェア盛皿、呉須辰砂黄釉瓜型喰籠、小皿3種)」河井寬次郎記念館蔵

こちらは河井寬次郎さんによる「食器一式」。例えば花瓶にしたり徳利にしたりと、用途に固執せずさまざまに使いこなしていたそう。

青田五良《裂織敷物》(部分)1930年ごろ アサヒグループ大山崎山荘美術館蔵

なんともいえない味わい深いテクスチャーと色合いが素晴らしい「裂織敷物」は染織家・青田五良さんによる昭和5年ごろの作品。

ちなみに京都・大山崎にあるアサヒグループ大山崎山荘美術館は、丸ごと民藝を体感できる素晴らしい美術館です。民藝がお好きならこちらも外せないスポットです!

〈左〉富本憲吉「白磁八角壺」1932年 奈良県立美術館蔵、〈右〉富本憲吉「色絵飾筥」1941年 京都国立近代美術館蔵

左から、陶芸家・富本憲吉さんの「白磁八角壺」、「色絵飾筥(いろえかざりばこ)」。

現在の奈良・安堵村(あんどむら。現在は町)で生まれた陶芸家で、その生家はレストランを併設したホテル「うぶすなの郷 TOMIMOTO」になっています。

撮影:来田猛
※いずれも前期展示のため、現在は展示されていません

右の作品は染色工芸家・芹沢銈介(けいすけ)さんの「丸文伊呂波屏風」(1938)。紅型などに影響を受けたのびやかな型絵染で知られています。
私は芹沢さんというと文字をデザインした作品のイメージが強いです。“セリザワフォント”とか、あったら欲しいなぁ。でも、デジタルじゃないからこの味わいなんでしょうね。

こうして一堂に会した民藝運動の美術家たちの作品を眺めていくと、彼らが交流し、影響し合い、ひとつの美学に基づいて制作活動を行っていたことが体感できます。

展覧会特設ショップには、図録をはじめ写真のトートバッグやサコッシュ、手ぬぐいなどの展覧会オリジナルグッズが充実。そのほか、民藝運動の流れを汲む現代作家による作品や、世界各地の民藝品も取り揃えられています。

◆特別展「民藝誕生100年—京都が紡いだ日常の美」公式サイトはこちら!

「民藝誕生100年」展を観ていたら 祇園・鍵善良房のくずきりを食べたくなります

漆芸家・木工家である黒田辰秋(たつあき)さんも民藝運動を代表する美術家のひとり。左から、「朱漆三面鏡」(1931)、「朱漆透彫文円卓」(1928)。

〈左〉河井寬次郎、額:黒田辰秋 書「くづきり」1956年ごろ 鍵善良房蔵、〈右〉黒田辰秋「螺鈿菓子重箱」1938年 鍵善良房蔵

左から、書「くづきり」は、字は河井寬次郎さん、額は黒田辰秋さんの手によるもの。右の素晴らしい黒田さんの「螺鈿菓子重箱」とともに祇園の和菓子屋・鍵善良房の所蔵品です。

黒田辰秋「螺鈿くずきり用器/岡持ち」1932年 鍵善良房蔵

こちらも黒田さんによる「螺鈿くずきり容器」「岡持ち」を見たら、もうダメだ。鍵善のくずきり食べたい。

ちなみに、民藝運動のメンバーには甘党が多かったそうです。色々なお菓子屋さんの看板やパッケージなどに彼らの作品が使われているのは、頼まれる以前に常連さんだったから、ということも多いようです。お近くにも、そんなお菓子屋さんがあるかも?

矢も盾もたまらず食べたい! と祇園の鍵善良房本店へ。

真っ先に店内奥の喫茶室へ向かい、席に着くなり「くずきり、ください」。「蜜はどちらになさいますか?」そうです、黒蜜と白蜜から選べるのです。そして毎回悩むのです。コクのある黒蜜、さらりとした甘みの白蜜。どちらも美味です。キリッと氷で冷やされたちゅるちゅるのくずきりに、今回は黒蜜をたっぷり絡ませて無心でいただきました。

喫茶室からお菓子の販売スペースへ。店内を入って右手には黒田辰秋さんの「拭漆欅大飾棚(ふきうるしけやきおおかざりだな)」(1934)が。今でも現役で使われ、実用の美としてのときを重ねています。

向かい側にも同じく黒田さんによる「拭漆欅大飾棚」(1932)が。鍵善の十二代当主・今西善造さんが黒田さんの作品に惚れ込んで依頼し、1年をかけて製作されますが、その請求書を見てびっくり。家一軒分ほどの金額だったそうです。しかし、出入りの大工さんが価格相当の素晴らしい出来栄えだと請け合ったそう。

老舗の看板商品のひとつ、季節のモチーフをかたどった干菓子をぎっしりと詰め合わせた「園の賑い」。黒田さんの作品がもたらす、ここにしかない空気のなかに並ぶお菓子は、特別なオーラをまとっています。

◆「鍵善良房」公式サイトはこちら!

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