◆「IQが違うから話が合わない」と言う人たち
筆者が今年8月に入会したMENSA(「人類の上位2%のIQ」を入会条件に掲げるイギリスの団体)の会合でよく話されるのは「生きづらいよね」という愚痴や悩みの暴露。話のペースが会う人がいないとか、周囲と興味の方向が異なるとか、人によっては嫌味に感じるかもしれませんが、アレはどちらかと言えば避難所に近いコミュニティです。
筆者自身も「どんな世界だろう?」と気になって覗いてみたはいいものの、そこまで変わった方もおらず、感覚としては「ゲームを誘えるコミュニティが一つ増えた」程度。
特別なことなんてありませんし、むしろ会費がもったいないので、今の会員期限が切れたら更新せず退会しようと考えています。
もちろん、中には「自分は特別なんだ!」と信じる方もいらっしゃいます。
そういった方に限って「IQが20違うから話が合わない~」などと、コミュニケーション能力の低さを他者の知能指数へ転嫁して正当化しようとしますが、そういった方はごく少数。
ほとんどはIQの高さを「長所でもありつつ、生きづらさの要因でもある」と多面的に捉えます。
「高ければ高いほどいい」とか「自慢の種になるとか」考えている人はいませんし、そんなことで人間の能力は測れません。
◆「わかりやすい」から多用されているだけ
今回、調査に付き合ってくれた東大生の中には「天才風のキャラには毎回IQの数値が出ますよね。わかりやすいからでしょうか」と指摘してくれた方もいました。実際に能力や実績がある人の裏付けやアクセサリー、あるいは持ちネタとして使われるものであって、そこにアイデンティティを見出せるほど存在感はないのかもしれません。
世の中が考えるほどIQに価値はない。
それでも求めてしまうのは、数字に踊らされる競争社会に心の底から染まり切ってしまった証左ではないでしょうか。
しかし、数字は縦方向の一次元的な評価に過ぎません。何が好きで、何を選ばないか。何に時間を使うのか。
こういった嗜好の積み重ねこそ、人の魅力を伝える最大のツールとなるはず。
仮にIQが高いのならば、使い勝手のいい数字に、使われてしまうことの無いように、優れた知能を活かしてほしいものです。
<文・布施川天馬>
―[貧困東大生・布施川天馬]―
【布施川天馬】
1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を自ら編み出し、東大合格を果たす。著書に最小限のコストで最大の成果を出すためのノウハウを体系化した著書『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』がある。株式会社カルペ・ディエムにて、講師として、お金と時間をかけない「省エネ」スタイルの勉強法を学生たちに伝えている。MENSA会員。(Xアカウント:@Temma_Fusegawa)

