◆バブル期に「高級」を知った日本人だが…

それは、人々の「食」に関する経験値を一気に高めることになり、その結果、フランス料理店での振る舞いも変わってきた。
たとえば、それまで、飲み物と言えばビールか水だった人たちが、シャンパンやワインをオーダーするようになった。高くてもおいしいものを選ぶグルメなお客さんが増えた。
お客さんのその変化は、僕たちにとってはありがたい変化であったと思う。
ところが、そこへ来てのバブル崩壊である。
目が肥え舌が肥えた人たちは厳しい目を店に向けるようになる。おいしくなくちゃいや、サービスは行き届いていないとダメ、雰囲気も大切にしたい。だがしかし、バブル期のようにたくさんお金を使うことはできない。
◆ついに、僕の時代が来た!
こんなときレストランへの要求度が高い人たちはどうするか。まず、外食の回数を絞る、そして、数少ないひとときを楽しむため、厳しい選択眼で店を選び抜く。 やった! ついに僕の時代が来た!!と、あのとき思った。
なんでも高いものから売れていくような時代、うちでも高いワインが売れたし、高いメニューを選んでくれる人も増えた。
それはそれでとてもありがたいことだったけれども、「高いから喜ばれる」あの感じ、「値段が高いことこそが価値」みたいな感覚に、僕はなんだかなあ、と思っていたのだ。
「おいしい」という理由で選んでほしかった。うちの料理が高いのは、いい食材を使い、高い技術で調理をしておいしいものを提供することへの対価だからなのだ。
バブル経済を経て、ようやく時代が巡ってきた。
なぜなら、本当においしいものがわかり、厳しい選択眼をもつ人ほど「オテル・ドゥ・ミクニ」を選ぶに決まっているからだ。
かくして「オテル・ドゥ・ミクニ」は、バブル崩壊後の改築で借り入れたお金を6年で完済し、さらに成長し続けることになったのである。
〈写真/キッチンミノル〉
【三國清三(みくに・きよみ)】
1954年北海道増毛町生まれ。中学卒業後、札幌グランドホテルや帝国ホテルで修業し、駐スイス日本大使館料理長に20歳で就任。その後名だたる三つ星レストランで腕を磨き、8年後に帰国。85年、東京・四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開店。予約の取れないグラン・メゾンとなる。世界各地でミクニ・フェスティバルを開催するなど国際的にも活躍する一方で、子どもの食育活動やスローフード推進などにも尽力している。2020年にYouTubeチャンネルを始め、登録者数54万人の人気チャンネルになり、Instagram18万人と合わせると72万人を超える(25年8月現在)。22年、惜しまれながらも「オテル・ドゥ・ミクニ」を閉店、25年、カウンター8席の「三國」を開店。

