71歳からの再出発、これからは、今までできなかったことに挑戦するのだそうだ。
バブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災、コロナ禍…激動の時代を見事な経営手腕で乗り越え、グループを大きくしてきた三國シェフ。怒涛の人生を凝縮させた新刊『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』(扶桑社刊)を上梓した三國シェフに、今だから話せる成功の秘訣について聞いた。

◆「エキナカ」レストラン文化の黎明に

今でこそ、エキナカのレストランなんて、ごくあたりまえの存在だが、まだ「エキナカ」「エキチカ」という言葉すら誰も使っていない時代のことである。
なんでもJR東日本では、「ステーションルネッサンス」と銘打った21世紀の駅づくりを目指していて、その一環として駅構内で新しいタイプのレストランをやりたいのだという。
その第1号として東京駅丸の内南口地下約300坪の大型店をプロデュースしてほしいというのが、JR東日本からの依頼だった。
店は四ツ谷の一軒家だけで十分と思っていた僕が、1996年の「コートダジュール ミクニズ」にはじまり、1999年「ミクニズカフェ マルノウチ」、2000年「ミクニ ナゴヤ」と店を増やし、成功させてきた。
それを見てのことだろう、しょっちゅうあちこちからいろいろな声がかかるようになっていた。
その中で、僕がこのエキナカのレストランにとくに興味をもったのは、駅で食事をする習慣をつくりたい、その第一歩だ、と聞いたからだ。
駅を出て家に帰ることばかりを考えるのではなく、先を急がずふらっと食事に立ち寄る、駅でそんな過ごし方ができるのも楽しいではないか。
◆江戸前寿司から創作寿司まで「回転寿司 三九二」
店の名前は「東京食堂 セントラルミクニズ」に決めた。わざわざ行くのではなく帰り道に気軽に立ち寄ってもらいたい店だから、これまでのミクニグループのレストランとは印象の異なる名前をつけたいと考えた。「食堂」であれば、着替えて出直してくるところ、といった堅苦しさもない。それに「食堂」には、専門店ではなく、いろいろなものがなんでもかんでもあるイメージがある。楽しめる場所だという感じも出せる。
この「東京食堂」というネーミングは、我ながらすごくイケてた! と、じつは自負しているのだ。丼も麺類もある、エスニックの一品料理もあるし、フレンチのコースも食べられる。
江戸前にぎりから創作寿司まで楽しめる回転寿司コーナー「三九二」もある。この感じをうまく伝えていたと思う。
店内の内装にもこだわった。たとえば、列車の食堂車をイメージしたコンパートメント席は、4人掛けで向かい合いまさに食堂車さながら。電車が入ってくるとゴトンゴトンと音がして座席が揺れる感じまで再現したら、大変な話題になった。
店は2001年のオープン直後からずっと行列が続く人気店となった。店の前の人混みを眺めながら僕はこんなことを考えていた。
大勢の人がいるけれど、僕の料理を食べたことのある人はほんの一握り、僕の料理に興味がある人だって全体からすればそんなに多くないだろう。
それでも名前を知ってもらえていれば「ミクニ」に反応して、「三國さんが駅で食堂をやっているんだ、試しに入ってみよう」ということになるし、「回転寿司 三九二」と聞けば、「え? フレンチじゃないの?」と関心を引くことになるのだ。
「ミクニ」の名前のついたフレンチではない店が広がっていくという経験をするなかで、僕にとってはその意味について考えるきっかけにもなったプロジェクトだったと思う。
「東京食堂」はもともと期間限定の店で、駅のリニューアル工事に伴って2006年でクローズしたが、いまだに、あの店よかったね、と言ってくれる人がいる店なのだ。

