自らもメディアのターゲットにさらされ、関係者への取材に激高した経験を持つ作家の乙武洋匡氏は「政治家がメディアに反撃する自由はある。しかし、権力者がその自由を行使する時には、常に“抑制”というブレーキが伴わねばならない」と警鐘を鳴らす(以下、乙武氏による寄稿)。
◆記者の名刺をXで公開

気持ちはわかる。私もこれまで何度も悔しい思いをしてきた。私自身は残念ながら選挙で落選しているので本当の意味で“公人”となったことはないが、それでも“準公人”だの“みなし公人”だの勝手なワードを押しつけられては私生活を公開されてきた。いわゆる不祥事と呼ばれるような事象ならまだしも、やれ新しいパートナーができた、やれ破局しただのといちいち報道され、この上なく辟易としている。「放っておいてくれ」としか言いようがない。
一万歩譲って私本人への突撃は許容したとして、やはり“関係者”への取材は許しがたい。年老いた母が駅へと向かう道すがら延々とカメラを向け続けられたという話を聞き、息子として大変申し訳なく思うとともに怒髪天を衝く思いだった。藤田氏のケースでは、フリージャーナリストが秘書の会社のマンション敷地内に侵入したという。執拗なつきまといが続いているのだとしたら、それは取材ではなく暴力とさえ言えるのではないだろうか。
◆怒りをどう制御するかがリーダーの資質に
藤田氏の気持ちは十分に理解できる。いくら自分に疑惑があっても、強引な取材をされ、心的ストレスを与えられることへの怒りは筆舌に尽くしがたいものがある。しかし、同時に藤田氏の立場もまた先月とは異なっていることにも留意が必要だ。藤田氏はこれまでも国会質疑でブチ切れた姿を報道されるなど、やんちゃな一面を見せてきた。それでも問題視されてこなかったのは、日本維新の会が野党だったからだろう。だが、現在は与党。しかも党の共同代表という立場となった。強大な権力の側にいると理解されている。高市総理が誕生する際にも、総務相時代に安倍政権への批判を続ける放送局への“停波”是認発言をしたことが不安視されたように、権力の座にある者はその権力に対して抑制的であることが求められる。
「売られたケンカは買う」という態度は大変威勢も良く、喝采を送る人も少なくないかもしれない。だが、与党として外交・安全保障政策にも関与する可能性が出てきた以上、どう自分の感情をコントロールし、理性的な振る舞いができるかを積極的に見せたほうが、むしろ国民からの信頼を得られるのではないだろうか。

【乙武洋匡】
1976年、東京都生まれ。大学在学中に執筆した『五体不満足』が600万部を超すベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、小学校教諭、東京都教育委員などを歴任。ニュース番組でMCを務めるなど、日本のダイバーシティ分野におけるオピニオンリーダーとして活動している

