
日本では、使い切れないほどの資産を持ちながらも、実際には使わないシニアが非常に多いといわれています。その背景には、寿命が延びたことによる「資産の枯渇への不安」、いわゆる長生きリスクがあると考えられます。今回は多額の資産がありながら、お金を使うことができない一人暮らしのシニア男性の事例から、資産を有効活用するためのマインドチェンジについて、CFPの松田聡子氏が解説します。
1億5,000万円の資産を持ちながら、質素な生活を続ける78歳男性
関東の地方都市に住む林正之さん(仮名・78歳)は、築35年の一戸建てで一人暮らしをしています。2年前に最愛の妻・彰子さんを亡くしてから、家の中はすっかり静かになりました。
元自営業者として堅実に働き続け、夫婦で築いた資産は金融資産だけで1億5,000万円。収入が国民年金だけでも、経済的には何の心配もありません。
しかし林さんの日常は、その資産額からは想像もつかないほど質素なものでした。庭の草むしり、スーパーのタイムセール、夜は早々に電気を消す毎日です。
「妻がいたころは、長女も次女も孫を連れて遊びに来てくれたんですが……」
林さんは寂しそうに振り返ります。
近県に住む48歳の長女には高校生の孫が2人、45歳の次女には中学生と高校生の孫がいます。林さんと彰子さんは貧しい家の出身だったため、お金はあっても倹約に励み、孫たちにお小遣いをあげることもあまりありませんでした。
しかし、彰子さんはいつも台所で孫たちの好きな料理を作り、庭で楽しそうに遊んでいました。そんな賑やかな時間は、遠い過去の思い出です。今では娘たちからは月に1度程度の電話があるだけで、孫たちの声を聞くこともほとんどありません。
「親を当てにするな」…過去に発した言葉の後悔
そんな林さんが重い腰を上げたのは、テレビでファイナンシャルプランナー(FP)という存在を知ったからでした。人生の終盤を迎えて、一度お金のプロに相談をしたいと思ったのです。林さんはインターネットで探したFPの事務所を訪れました。
最初は老後資産や相続に関する一般的な説明を聞いていた林さん。しかし、話が進むうちに、林さんは長年誰にも言えなかった胸の内をぽつぽつと話し始めました。
「私はもう78歳。あと何年生きるかわかりません。それに、もし体が動かなくなったら、老人ホームに入るかもしれません。お金を減らすわけにはいかないのです」
林さんの状況を聞いたFPは「たとえ今後、老人ホームに入居されたとしても、十分生活できます」と説明しましたが、林さんの表情は晴れません。頭に浮かんだのは、大学進学を控えた孫たちの姿と、教育費を工面するために必死に働く娘たちの様子でした。
「実は昔、娘たちに『教育費は親を当てにしないで自分たちで何とかしなさい』と言ってしまったことがあるんです。今思えば、あの一言で関係が変わってしまったかもしれません」
林さんの声には深い後悔がにじんでいました。
「孫たちをお金で甘やかすのはよくないけれど、学費の援助くらいしてもよかったのではないかと……。もう手遅れでしょうか?」
