2024年11月、組織や企業に属さず、個人として仕事を請け負うフリーランスを保護する「フリーランス新法」が施行され、約1年が経った。フリーランスが働く業界はクリエイティブ系やIT系をはじめ多岐にわたっているが、雇用形態や職種が違えば、どのような仕事をしているのかが互いに見えづらい。また、本業だけで生計を成り立たせている場合もあれば、副業的にフリーランスをしている場合もあり、働き方にも幅があるのが現状だ。
そこで本連載では、さまざまな職種で「フリーランス」として活動する人々を取り上げる。現在の働き方を選んだ経緯や、日頃の仕事内容とあわせて、価格設定や交渉術などにも目を向けることで、「仕事が循環する仕組み」をどのように作っているのか掘り下げたい。

長い黒髪に眼光鋭い独特の雰囲気が写真家の注目を集め、’25年8月には、自身初となるデジタル写真集『咲月 そのヌード、煌々と光り輝く』(小学館)も発売した。順風満帆にキャリアを重ねているようだが、「専業ヌードモデル」として活動できるようになるまでには、自身の摂食障害や親との確執など、いくつもの障壁があったと語るーー。
◆卒アル撮影も逃げ回るほどの「写真嫌い」だった


「上京後、芸能事務所から何度か所属のお誘いをいただいたのですが、多くは『ヌードをやめる』ことが条件でした。そもそも東京に出てきたのは、ヌードがやりたかったから。上京前から受けてきた仕事もあり、会社員のように固定給もない状態では食べていけないため、見送りにせざるを得ませんでした」
ヌード作品の撮影では、スタジオかラブホテルを使うことが多い。マネージャーもいない状態で、男性カメラマンとラブホテルの個室で1対1になるのは、怖くないのだろうか。
「ラブホって実はすごく“撮影向き”なんです。室内はレトロ調だったり、『映える』場所が多く、頭や体が濡れれば、ドライヤーもタオルも全部揃っています。今のところ危ない思いをしたことはありませんが、いざという時に備えて、合気道は習っています」
昔から大胆な性格だったわけではない。幼い頃は人見知りで、写真を撮られるのは苦手。「卒業アルバムの撮影でも逃げ回るぐらいでした」と苦笑いする。芸能活動に関心はなく、山口県防府市内にある商業高校を卒業した後は、県内のケーキ屋にパティシエとして就職した。
◆ダイエットのために豆乳しか飲まない日々
華やかなイメージを持っていたものの、いざ働き始めると朝は4時起き、クリスマスなどのイベント前は缶詰も当たり前で、工場勤務のような環境に体がついて行かず、1年も経たないうちに退職。その後は建設や医療関係の企業に勤めた。事務職で運動の機会が少なかったことから、社会人になって始めたのがバドミントンだ。趣味とはいえ、1日9時間ほどを練習に費やす熱の入れようで、1年後には中国大会にも出場が決まった。いざこれからという時に、試合中に右膝の靭帯を断裂。大会への出場を断念し、手術・リハビリに約1年半を費やして復帰するが、その約1か月後に今度は左足の靭帯を断裂し、競技を続けること自体が難しくなってしまう。
好きな運動ができずにストレスを感じていたのに加え、今まで通りの体型維持が難しくなったことから、ダイエットを始めた咲月さんは、拒食症へと陥って行く。
「はじめ、炭水化物を抜くダイエットをしたら1週間半で4キロぐらいポンと体重が落ちたんです。そこからは競技復帰よりも体重を落とすことが目標になり、しまいには豆乳しか飲まない生活になりました。めまいや肌荒れに悩まされたほか、常に空腹を感じ、夜に眠れなくなることもありました」
最も痩せていた時期の身長は158センチ、体重は36キロほど。摂食障害とあわせて、気分の高揚と落ち込みを交互に繰り返す「躁うつ病(双極性障害)」も発症した。「精神科にも二度ほど足を運んで、精神安定薬をもらいました。ただ依存するのが怖くて、薬は持っているだけでした」と話す。

