安定を求めて裏方として働き始めたものの、芸人としての日々は心の奥底に残り続けていたという。山名さんが芸人再挑戦へと至るまでの試行錯誤と葛藤を振り返る。

◆コンビ結成12年目で解散「高卒・職歴なしで次は何すれば…」
コンビ結成は2013年。高校時代からの友人同士で、3年連続M-1準々決勝進出を果たすなど実績を重ね、所属事務所ホリプロコムの中でも期待の若手とされていたパンプキンポテトフライ。しかし2025年1月、同年3月末で解散することが発表された。「解散を言い出したのは谷のほうからでした。ネタを書いているのはすべて谷で、僕の怠惰な部分にストレスが溜まっていたようです。そのときは芸人を続けることは考えられませんでしたね。谷以外と組んだり、ピン芸人としてやっていったりする自信がなかったんです」
解散後、谷さんは芸人を続ける道を選んだ一方で、山名さんは完全に芸人を引退することに。「次は何をしたらいいんだろう」。高卒で芸人を始め職歴のなかった山名さんが解散から2か月後に歩んだ道は、ホストクラブ「TOP DANDY」の裏方としての就職だった。実は山名さんは3年前から「TOP DANDY」でドリンク出しのアルバイトをしていたのだ。
◆ホストクラブの裏方バイト「きっかけは大久保公園」
「お笑いだけの収入では生活が成り立たないため、僕以外にも多くの芸人がここでドリンク出しのバイトをしているんです。TOP DANDYに芸人が集まるようになったのは、ある日、社員の方が大久保公園の前を自転車で通りかかったとき、ネタ合わせをしている芸人たちを見かけて『君たちは何者なんだ?』と声をかけたのが始まりです。これを機に元『マカロン』の舟久保匠さんが働き始め、人手が足りなくなった際に他の芸人たちも誘われる流れができ、僕はフランスピアノのヨーヘーに声をかけてもらって働くようになりました」ホストクラブが最も忙しくなるのは夜10時から。そのため芸人たちは、出演するライブを終えてから出勤することができた。勤務は主に夜9時半から深夜1時までで、日給も悪くない。さらに芸人同士でシフトを調整できるため、「ライブの打ち上げがあるから休みたい」といった急な予定にも柔軟に対応してもらえたという。

