
◆寡黙な父と苛烈な母の間に生まれて
活字での軽妙な語り口と裏腹に、彼女は緊張感のある家庭で育った。生まれは工業地帯で有名な川崎市、韓国人の父親と日本人の母親の間に生まれた。韓国人であることが原因で、父親は必ずしも仕事に恵まれなかったという。「無職の時期もあって、経済的に苦労したこともある」と、やよいさんは話す。父親は、寡黙な印象が強いという。「父は家にいない時間も多い人で、家族との距離が遠い人という認識です」
翻って、母親の感情の起伏は家族全体を左右するほど苛烈だった。
「私や姉が言うことを聞かないと、母はよく『言ってわからないなら、犬猫と同じだね』などと言って、リモコンで何発も殴ってきました。他にも殴る蹴るはそう珍しいことではありません。私も姉も小学生時代からリストカット痕があって、『ママなんて死んじゃえばいいのにね』と言い合っていました」
◆名門校への進学するも、鬱病を発症し…
やよいさんが通う中学校は工業地帯に隣接しており、荒れ果てた無法地帯。不良と呼ばれる少年少女も多かったが、彼女は学級委員を務めるなど、どちらかといえば模範生の部類だったことをうかがわせる。しかし次第にやよいさんの生活や精神は荒れ、自宅に寄り付かなくなった。“悪い仲間”との時間が増えていく。「運が良かったのは、これまでの行いが良かったため、教員から好かれていたことでしょうね。『内申書をよく書いてあげるから、悪いやつらとは縁を切れ』と担任に言われて、地元の公立進学校に行くことができました」
名門校への進学は叶ったが、両親との関係性において根本的な解決があったわけではない。高校入学後にやよいさんは鬱病を発症した。登校してもなぜか教室に入れず、保健室登校も経験した。一方で、引き続き家に寄り付かない日々を送った。よすがとなったのは、中学時代のように現実世界の不良ではなく、SNSだったという。
「当時のTwitterでは、若い“メンヘラ女子”がちょっとしたブームでした。女子高生が突飛なことをやると、結構フォロワーが喜んでくれて。その声援で自分が満たされていくのを感じました。今でも覚えているのは、『秋葉原で童貞の“筆下ろし”するまで帰れまテン』みたいな企画ですね。当時の私の外見がギャルだったからか、意外とオタクと呼ばれる人の警戒心が強くて、一筋縄ではいきませんでした。唯一、話を聞いてくれた当時40代以上のおじさんも、実は宗教勧誘だったことがわかって。まんまと私は引っかかりました(笑)」

