◆「AIで楽するだけ」の人も未来はない
確かに、AIは早い。異常な速度でそれなりの成果物を無数に生成してきます。しかし、あくまで「それなり」でしかなく、「それなり」以上のものを生成するなら、使い手側に「それなり」以上のスキルが求められてしまう。
「それなり」から100点以上へつなげる際に要求される人間の能力、すなわち思考力とは、もともと頭の中に知識や考え方のスキームが身に着いていなければ発揮されません。
伸ばすにしても、ファクトチェックをするにしても、勉強をしてきた人間の「基礎教養」的な知が必要になります。
大学のレポートなど、定型的な課題をこなすならAIで十分でしょう。そうして、空いた時間を自分のやりたいことや、別の研究に充てるなら、有意義な使い方と言えます。
しかし、AI利用で楽をするだけならば、果たしてその人に未来などあるものでしょうか。
大学を就職予備校程度に考えて、「適当に遊んでさっさと出るだけ」と捉えるならば、AI利用が最適解。
ただ、4年間もの間、愚直に考えることをやめなかった人と、外付けの頭脳に思考を委託した人間とでは、前者の方が成長余地はあるはず。
◆AI時代に逆説的に浮き彫りになったこと
東大生が答えていたように、これからは「単純作業でAIに一切頼らない人」はもちろんのこと、「AIだけの人」も淘汰されていきます。この先求められるのは、人間の有機的かつ取り留めのない突発的なノイズ交じりの自由かつ混沌とした思考力。
これを身に着けるためには、やっぱり勉強が必要なんです。
ただ、それは考え無しに知識を詰め込む「がり勉」ではなく、各物事の意味や関係性を整理しながら吸収する知的な学習。
AIは我々の暮らしを明らかに便利にしてくれました。ただ、これによって「思考力のある人」と「ない人」の差が一層はっきりしてしまったように感じます。その違いを生むのは「基礎教養の有無」。
ですが、書店で売っている「教養本」ではこの能力は身に着きません。目の前の問題との先の見えない対話、出口を模索する泥臭くて愚直な努力の積み重ねでこそ、身に着くものだからです。
「AIが考えてくれるAI時代」を生き抜くために、逆説的に思考の必要性が浮き彫りになってきた形。
シンギュラリティ(技術的特異点・AIが人間の知能を超えるとき)も近いと噂されています。
ただ、私には「もしかすると、シンギュラリティは『人間が考えなくなりすぎて引き起こされるのかも』とも思えてしまうのです。
<文/布施川天馬>
―[貧困東大生・布施川天馬]―
【布施川天馬】
1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を自ら編み出し、東大合格を果たす。著書に最小限のコストで最大の成果を出すためのノウハウを体系化した著書『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』がある。株式会社カルペ・ディエムにて、講師として、お金と時間をかけない「省エネ」スタイルの勉強法を学生たちに伝えている。MENSA会員。(Xアカウント:@Temma_Fusegawa)

