◆なぜ入れ墨を彫ったのか

Mina:私、こう見えて小学生時代は真面目だったんです。正確に言うと、父が厳しくて、反抗できなかったんです。だから父が決めた体操やバレエなどの習い事を全部こなして、勉強もきちんとやっていました。生徒会に入って運営したり、合唱祭の指揮者をやったり、いわゆる優等生です。
転機になったのは父が自ら命を絶ったことでしょうね。当時、うつ病だった父は死を仄めかす言動をしていましたが、私はあまり気に留めませんでした。ただ、亡くなり方が亡くなり方なので生命保険もおりず、母は経済的に結構行き詰まっていたと思います。そうした環境のなか、私もふさぎ込むことが多くて、何回かリストカットやアームカットを経験するようになりました。
一方で、父の生前にはできなかったオシャレにも目覚めて、髪の毛を金髪にしてギャルになるなど、傍からは「はじけてしまった」ように見えたかもしれません。それでも目標が定まると頑張るタイプなので、偏差値が高めの自由な校風の私立高校に行きたいと思って勉強し、合格しました。入学したあと、リストカットやアームカットの痕を誤魔化すためにワンポイントの入れ墨を彫っていったのが、どんどん増えていきました。
◆高校を中退してダンスの道に進むことを決意

Mina:時間軸が前後するのですが、中学生のとき、チアダンスをやっていました。さっきお話した事情であまり経済的な余裕がないなか、母はなんとか費用を捻出して習わせてくれました。頑張って練習した成果もあって、JAM FEST! JAPANの国内大会を勝ち抜き、アメリカ合衆国バージニア州で行われる世界大会でも優勝することができました。
志望する高校に無事に合格できたことは先ほどお話しした通りですが、ダンス部に所属して引き続きダンスに打ち込む日々が続きました。ただ、深夜練習などが続いて、次第に登校しても寝てしまう日々が増え、中退することにしました。ダンス一本でやろうと思ったんです。
中退するときも、私の性格をよく知っている母は「止めてもあなたはするんでしょう」って言っていました。私のために学費の高い私立に通わせてくれていたのに、申し訳ないなぁと今でも思いますね。高校中退後、私は一人暮らしをして家を出ました。現在は自分が続けてきたダンスでこうして食べることができているので、その姿を母に見てもらいたいなとも思うのですが、それを叶えるのはこれからですね。
――現在、お母様とはどのようなご関係ですか。
Mina:やはり一時期、申し訳ない気持ちがあってぎこちない関係だったこともありますが、嬉しいこともありました。かつてギャル雑誌『小悪魔ageha』の専属モデルに選ばれたんですが、そのときは、実家に帰ると私が掲載されている雑誌が平積みされていたりしました。何気ないところで、応援してくれているんだなと胸が熱くなりました。

