
息子とともに襲名を迎えて
「最近ようやく、『八代目』と呼ばれると『自分のことなのだ』と思えるようになりました。毎日、八代目としてどうあるべきかを考えます」
ご子息も尾上丑之助改め六代目菊之助を襲名した。
「2人で頑張ることが私の励みになっていますね。音羽屋の伝統を受け継いでいくというモチベーションにつながります」
「六月大歌舞伎」では「ティファニー」が祝幕「菊富士曙」をサポート。夜明けを表すティファニーブルーのグラデーションを背景に、富士の嶺のような白菊が開花し、公演を彩った。
「伝統と革新をテーマに、日本のよさを世界に発信する祝幕を作っていただいて本当に感謝しています。歌舞伎は江戸に始まり、その時代の役者が技芸を磨いてきました。今、令和という時代に襲名をさせていただいて、代々の菊五郎がつないできた伝統と革新の精神を忘れずに歌舞伎界に貢献していきたいと思います」
楽屋の風景や思い出の味
銀座は自身を育ててくれた街だと語る。幼少の頃から歌舞伎座に通った。
「初舞台より前に、父や祖父の楽屋に遊びに行っていました。4歳ぐらいでしょうか。客席は華やかで、いろいろな芝居が繰り広げられるのだとわくわくしましたが、舞台の裏には子供が立ち入ってはいけない危険な場所もあります。華やかさと緊張、表と裏がある場所、という印象でしたね」
自宅と銀座を往復する日々のなか、遊びながら学んだと振り返る。
「(市川)團十郎さんと楽屋を走り回っていました。先輩方の舞台を見て芝居ごっこをしたり。子供の頃は舞台に出ると、銀座にある金太郎というおもちゃ屋さんでご褒美を買ってもらえて。金太郎の包みを見るだけで嬉しかったのを思い出します。尾上流(日本舞踊)のお稽古場も銀座にありますので、学生時代は学校が終わると電車に乗って通っていました」
思い出の味もさまざまある。
「YOUのオムライス、銀之塔のシチュー、ナイルレストランのカレーは、 “三種の神器”です。お着物や履物などもみんな銀座のお店にお世話になっていますね」

