
銀座に行くからシャツでも着ようかな
小さい頃から銀座は「大人が行き来する街」というイメージで、自身が大人になった今もその印象は変わらないという。
「銀座に行くからシャツでも着ようかな、という気持ちが自分には残っています。子供の頃に、ちょっとおしゃれな格好をして家族と夜ご飯を食べに来た思い出の蓄積があるのかもしれません」
幼少期から10代にかけては家族とともに訪れる場所だった。
「祖母が銀座で広告代理店の仕事をしていました。胡椒亭という洋食屋さんに、叔父家族が連れていってくれたことを覚えています。昔は銀座三越の別館にスタジオがあって、母がディスクジョッキーとして『ぎんざNOW!』という番組の洋楽を紹介するコーナーに出演していたので、銀座に行くとその思い出を聞いたり、一緒にトリコロールでお茶をしたり。銀座は大人の街で子供には退屈な場所なので、自分で銀座まで出るようになったのは大学生です。美術に興味を持って、ギャラリー小柳などに観にいきました」
大学に入ると近世歌舞伎を専門に学び、歌舞伎座へ通うようになった。
「高校生の頃、折口信夫や柳田國男などのフィールドワークに憧れて、民俗学の研究者になりたいと思っていました。各地の民族芸能を見ると、踊りや歌に、文字には残らないたくさんの人たちの記憶が残っている。文字に残らないこと、かつて生きていた人たちの心に関心があります。どんな生活で、どんな気持ちだったのかを知りたい。病気がちだったのでフィールドワークは無理かもしれないと思っていたとき、説話や古語辞典を読んでいるうちに本のなかの道を歩くこともできるんじゃないかと思いました」
やがて、歌舞伎の台帳(脚本)にはかつて生きていた人たちの言葉が残っていることに思い至る。
「四世鶴屋南北が大好きなのですが、演劇のなかにあらゆる身分の人たちの言葉が書かれています。台帳を読むことは、舞台を観ていた当時のたくさんの人の気持ちが入っていると思いました。演劇は有名な役者が演じるだけではなく、物語が各地へ飛んでいって村の歌舞伎として上映されたり、役者の声音を芸人が真似したりして、それを聞いている大勢の人がいます。かつて芸能を観ていた人、聞いていた人のことを知りたくて、歌舞伎を勉強しようと思いました」
大学時代は、月に2、3回は歌舞伎座へ行き、よく幕見席で観劇した。
「演目は『蘭平物狂』だったと思うのですが、人形焼きを食べながら観ていたことがあって。派手な立ち回りで人が斬られていく様子に周りの人は笑っていて、私も興奮しながら人の顔の形をした菓子を齧っていて。人はおぞましいものに惹かれたり、殺される場面に喜んだりします。人の禍々しさを思います」
大人になってからの銀座の思い出として語るのが、昨年、他界したアーティストの田名網敬一と過ごした時間だ。
「田名網先生に、戦争の聞き取りをしていました。終わるとよく銀座に連れていってくださって。竹葉亭で鰻を食べたり、資生堂パーラーに行ったり。先生は『戦争は体験した人にしかわからないから、いつまでもわからないと思うよ』とおっしゃっていましたが、『わからないと思うけれど、それでも聞かせてください』とお話しして伺っていました」

和光 アネックス 2階 ティーサロン
東京都中央区銀座4-4-8 和光アネックス
tel: 03-5250-3100
吉田健一や谷崎潤一郎が訪れたお店も
今はドーバーストリートマーケットでぶらぶらしたり、梅林のとんかつを食べたり、鳩居堂で買った千代紙をブックカバーにしたりと、銀座の街をさまざまに楽しんでいる。取材の日に訪れた和光のティーサロンもお気に入りの場所で、クロックムッシュが好きだという。
「亡くなった祖父が着ていた壹番館洋服店の服が残っていて、メンズ服が好きなので、最近少しずつ着ています」
銀座はかつて生きていた人たちの存在を感じられる場所だと語る。
「銀座には空襲もありましたし、吉田健一や谷崎潤一郎が訪れたお店が今もあって、死者を思う時間が多いです。歌舞伎を観るのも、かつて生きていた人のことを知りたいと思っているからかなと思います」
過去を知ることの先に、未来があると考えている。
「死者を知る向こうに未来があると思っています。なんでも少しずつ変化しながら繰り返されていくから。かつて消えていった声を聞きたいと思って歩いています」
