◆前回までのあらすじ
セレブ専業主婦の愛梨(37)、バリキャリ共働き夫婦の由里子(38)は、子どもの習い事が一緒で友人関係に。まりか(38)は、起業家兼ピラティスインストラクターで、由里子とは昔の飲み友達。3人は立場やキャリアが違うものの友情を育むようになった。まりかは、一度は距離を置いた颯斗と再び会うようになり…。
▶前回:「2人目が欲しい」と伝えた夜。夫の冷たい態度に、揺れる38歳妻の女心
運命の相手…?
まりか(38歳)Web制作会社経営/ピラティスインストラクター
「ねぇ。大丈夫?なんだか、元気がないみたいだけど」
六本木のピラティススタジオで、今日最後の個人レッスンを終えたあと、鏡越しに私を見ながら“マダム”はそう言った。
「えっ。わかります…?」
「そりゃ、わかるわよ。毎週会ってるんだから。でもレッスン中はいつも通りだから偉いわね。さすがプロ」
私が勝手に“マダム”と心の中で呼んでいる顧客の瀬川さん。
50代後半なのに肌に張りがあり姿勢も美しく、aloのウェアを堂々と着こなしている。
私は苦笑いして「ちょっと考えごとをしていて」と濁した。けれど、その“考えごと”が先週からずっと心を覆い尽くしている。
「言いたくなければいいんだけど…私でよければ話聞くわよ。こう見えて、経験豊富なおばちゃんだから」
マダムの優しさに心がほぐれる。
「ありがとうございます、実は…」
私は颯斗と行った温泉宿での出来事について、話すことにした。
誕生日祝いという名目で彼が連れていってくれたのは、箱根の山あいにあるラグジュアリーな宿。
客室露天風呂からは緑に包まれた渓谷が望め、夕食は地元の旬を贅沢に盛り込んだ会席料理。ひとつひとつが繊細で、都内のどんなレストランよりも心に沁みた。
「ねぇ、颯斗。ちょっと奮発しすぎじゃない?ここ、素敵すぎる…」
私が感動していると、「たまにはカッコつけさせて」と颯斗は微笑む。
幸せだった。
一度は連絡を断ち、お別れをした颯斗が目の前で笑っていることが。
けれど、その夜の出来事はそれ以上の衝撃だった。
食後。私たちは二度目の温泉に入り、浴衣姿でテラスの椅子に並んで腰掛けた。
窓を少し開けると、控えめに虫の声が響き、涼しい夜風が熱った頬にあたる。
「ねぇ、ビール飲む?もうお腹いっぱいかな?」
私が部屋の冷蔵庫を開けながら聞くと、颯斗はそれには答えず、「まりか、あのさ」と私の名前を呼んだ。
真剣な声色に振り向くと、颯斗がこちらをまっすぐに見ていた。
「結婚してください」
急な申し出に一瞬息が止まり、私は冷蔵庫の前で変な体勢のまま固まってしまった。
ちゃんと付き合いたい、とは聞いていた。結婚する気もあることも確認した。けれど、まさか今日プロポーズされるなんて、想像すらしていなかった。
「……本気なの?」
「うん。離れてみて、気づいたんだよ。僕は自分で思っているよりもずっと、まりかのことが大好きなんだって。他の子と飲みに行ったりもしたんだけどさ、ぜっんぜん面白くないの。あなたが魅力的すぎるせいでね」
颯斗の29歳という年齢を忘れるほどの、真剣な表情に思わず釘付けになる。
「まりかはさ、たぶんひとりでも勝手に幸せになれるタイプだと思うんだよ。男に幸せにしてもらおうなんて、思わないカッコイイ女でもあるし」
「そんなことないよ…」
私が咄嗟に否定すると、颯斗は私のそばに来て頭を撫でた。
「うん、それもわかってる。カッコいいまりかでも泣きたい夜はあるってこと。だから、その時にそばに誰かがいたら、悲しみや辛さを分け合うことができるでしょ?その役割を僕が担いたいし、頑張っているまりかを支えてあげたいんだよ」
「ありがとう。そんなふうに言ってくれて。颯斗、なんだか変わったね」
颯斗からこんな言葉が聞けるとは思っていなかった。これまでは、楽しい時だけを共有する互いに都合のいい相手だったから。
「私も颯斗のことも好きだよ。だから、ちゃんと考えなきゃなって思ってて、今すぐに答えは出せない…ごめんね」
今の私にはそう言うのが精一杯で、颯斗は苦笑いを浮かべ「わかった」とだけ言って、私を抱き寄せたのだった。
「温泉でプロポーズ!素敵じゃない〜!しかも、29歳のイケメン?もう〜。羨ましっ」
マダムが体をくねらせた。
「でも…どうしたらいいのか、まだ答えが出ないんです」
「そんなの簡単よ。したかったらすればいいし、したくなかったらしなくていいのよ」
シンプルすぎる言葉に、私は目を丸くした。
「結婚ってね、最後は自分の本能に頼るしかないのよ。私は二度結婚したけれど、最初の夫は“子どもを産むために出会った人”だったと思うの。可愛い遺伝子をどうも!って思うけど、死ぬまで一緒にいる想像はできなかった。
でも、今の夫は一緒にいると笑顔になれるし、愛を感じるし、介護もしてあげたいって思える…って、まぁ、結果論でしかないけどさ」
笑いながらCHANELのスニーカーを履いて「結婚生活もなかなか面白いわよ。また来週ね」と出て行ったマダム。
さらりと語られるその人生経験が、私の胸にズンと響いた。
颯斗は“子どもを望むなら最後のチャンス”なのか。それとも“人生を共にする運命の人”なのか。
― その両方ってこともあるのかな?
結局、答えを出せないまま私はスタジオをあとにした。
翌日の夕方。
私は、愛梨と由里子を『まりか:ふたりに会いたい。子連れでも大歓迎♡』と麻布十番のカジュアルなビストロに呼び出した。
子どもたちに先にパスタを出してもらい、それぞれの飲み物が揃ったところで、私は言った。
「ねぇ、ふたりが結婚する時って“この人が運命の相手だ”って感じた?」
唐突すぎる言葉に、愛梨と由里子は目を見合わせ「どうしたの、急に」と由里子が笑った。
「だよね、ごめん急に。えっと……颯斗にプロポーズされました」
「えっ!?すごい〜!!」
「ちょっと、展開早いって〜!おめでとう!」
ふたりの声が重なるが、私は何も言えずにいた。
「おめでとう、でいいんだよね?」と愛梨。
「う〜ん。正直、迷ってる。結婚したら幸せってわけでもないのはわかってるつもりだし。とにかく結婚したかったアラサーの時期もとっくに過ぎたしね」
「……」
「……」
愛梨と由里子がまた顔を見合わせるが、今回は表情が暗い。
「ごめん、うちの夫のせいで、男はみんな不倫するんじゃないか?って心配になってるよね」
「いや。私がレスだとか言ったから…離婚もアリだとかさ。でもほら、ちゃんと仲の良い夫婦もいるから。ね!」
ふたりが必死にフォローしてくるので、思わず笑ってしまう。
「あはは。ふたりのせいでプロポーズを保留にしてるわけじゃないよ。ちゃんと自分に向き合ってる最中なんだ。だから、今日はふたりの結婚の決め手とか、惚気話を聞きたいなぁって」
私が言うとふたりの顔がほころび、それぞれ順番に話し始めた。
悩みも問題もあるけれど、それ以上に幸せな時間がある。それは、特別な日に限らず、日常の中に散りばめられている、と愛梨と由里子は教えてくれた。
ビストロを出てみんなと解散した後、私は夜風に当たりながらスマホを取り出した。
旅行から帰ってきて3日。颯斗とは連絡を取っていない。彼も気を使っているのか、何も言ってこないのが恋しさと申し訳なさを加速させる。
『待たせてごめんね。ちゃんと返事したいから、会ってくれる?』
送信ボタンを押した瞬間、モヤモヤしていた胸の奥が一気に晴れた。
私はもう、迷わない。颯斗と、結婚する。それが、私の選んだ答えだ。
働き方も、推し活の頻度も、もしかしたら友情も、結婚という新しいフェーズを迎えたら変化するのかもしれない。
けれど、由里子や愛梨と過ごした時間は私にとって大切でかけがえのないもの。
自分から手放すつもりはない。
女の友情に“賞味期限”なんかなくて、自分で期限を決めなければ、続けていける――私はそう信じている。
涼しい夜風が頬を撫で、スマホの画面には颯斗の名前が光っていた。
その光を見つめながら、私は二重の確信を抱いていた。これからの未来も、恋も友情も、自分で選び続けていくのだと。
Fin.
▶前回:「2人目が欲しい」と伝えた夜。夫の冷たい態度に、揺れる38歳妻の女心
▶1話目はこちら:「男の人ってズルい…」結婚して子どもができても、生活が全然変わらない

