
「家族のためだ」と信じ、仕事に人生を捧げてきた。残業や休日出勤も厭(いと)わず、その結果、高い地位と十分な老後資金を手に入れた。 しかし、65歳で定年を迎え、ふと家庭を顧みた時、そこに待っていたのは、妻や子との“心の距離”と、埋めがたい“孤独”だったとしたら──。本記事では、FP事務所MoneySmith代表の吉野裕一氏が、樋口さん(仮名)の事例とともに「お金」と「家族との絆」という、人生の2つの重要な側面について問い直します。※個人の特定を避けるため、事例の一部を改変しています。
仕事一筋だった夫と、すれ違う家族
樋口浩二さん(仮名/67歳)は国立大学卒業後、大手企業に就職。着実に地位を築き、部長職までのぼりつめました。28歳のときに2歳年下の裕子さん(仮名)と結婚。30歳で長女(現在バツイチ)、33歳で長男(現在独身)を授かり、順風満帆な人生を送っていました。もともと真面目な性格で、残業や休日出勤も文句をいわずに仕事に専念。結婚後も、家族サービスより仕事を優先することが多かった現役時代でした。
一方、妻の裕子さんは専業主婦として2人の男の子を育て上げました。子どもたちが小学生の高学年になるころには、ママ友との交流も増え、ランチや習い事を楽しむように。子どもたちが独立したあとも、浩二さんは仕事優先で夜も遅く、休日は接待ゴルフなどで家にいないことが多かったため、裕子さんは昔からの交友関係を続け、昼間は外出、夕方からは習い事、という日々を送っていました。
樋口家の家計は、夫が大手企業勤務ということもあり、裕子さんがパートに出なくても困ることはありませんでした。子ども2人の教育費もしっかりと貯められ、老後の心配もありません。浩二さんは65歳で定年退職。年金は月32万円、退職金は4,000万円を受け取り、経済的には完璧な老後がスタートしました。
2人の子どももすでに独立し、家には裕子さんと2人きり。しかし、裕子さんは相変わらず交友関係が広く、昼も夜も出かけることが多い――。浩二さんは家でテレビをみていましたが、それも次第に飽きてしまい、YouTubeをみて暇を潰すようになりました。
夫婦2人で昼食や夕飯をとることも少なくなっていき、浩二さんは妻が食事を作ってくれない日はカップ麺をすすります。家にいながら孤独を感じる日が増えていったのです。
田舎で再会した同級生。その姿に感じた“屈辱”
YouTubeにも飽きてきたころ、浩二さんは高齢の親のことも気になり、田舎に帰省することにしました。
実家近所の食堂に入ってご飯を食べていると、「樋口か?」と突然声をかけられました。振り返ると、高校時代の同級生の姿が。その夜に、居酒屋で昔話に花を咲かせることになったのです。
結局昔話もそこそこに、浩二さんは、妻に相手にされず、たまに帰ってくる子どもたちからも邪険にされている、といった現状の愚痴をこぼすばかり。 対照的に、中小企業を同じく65歳で定年退職したという同級生は、妻と旅行や共通の趣味を楽しんでいると、生き生きと語ります。大型連休には子どもたちが孫を連れて帰省し、みんなでバーベキューをするのが楽しみだ、と。
浩二さんは居酒屋から帰宅したあとも、同級生の生き生きとした姿が頭から離れませんでした。
「なぜ、自分より収入が低かったはずの彼が、あんなに満たされているんだ」
ネットで同級生が勤めていたという中小企業の名前を検索し、おおよその平均年収を調べ上げました。さらに、「妻が扶養の範囲でパートに出ていた」という言葉から世帯収入を想定。年金シミュレーションサイトに、それらの数字を打ち込んでいくと、画面にはじき出された数字が、浩二さんをさらに打ちのめしました。
同級生夫婦の年金は、合わせて月20万円ほど。決してゆとりある生活とはいえないまでも、老後資金も資産運用で築いた資産がある程度あるため、旅行や趣味を十分に楽しめているようでした。現役時代にも、休日はしっかりと休んで、家族サービスをすることが多かったようです。
浩二さんは、大手企業に勤め、再会した同級生をはじめ、地元のほかの誰より遥かに豊かになるよう頑張ってきたと自負していました。しかし、家族との温かい関係を築いている同級生の姿が、いまの自分の情けなさを痛感し、羨ましいというよりも、むしろ“屈辱”に感じたといいます。
