認知症になると財布や通帳をどこに置いたか思い出せず、家族を疑う。外出したまま帰り道がわからず、警察に保護される。数年前の出来事を、まるで“昨日のこと”のように繰り返し語る――。本人も家族も、少しずつ“日常”を蝕まれていく。
多くの認知症は一度発症すれば、完全に元の状態に戻すための治療法が確立されていない。だからこそ、予防が何よりも大切だ。
「スマホを使うことで脳が若返り、認知症の予防につながります」
そう語るのは、約1万人の認知症およびその予備群の脳を診てきた経験を持つ、金町駅前脳神経内科の院長・内野勝行氏だ。なぜスマホが脳の若返りに効果をもたらすのか。その理由を、内野氏の臨床経験をもとに探っていく。
◆外出や交流が少ないと、スマホが刺激になる

内野:認知症の最大のリスク要因は、「暇」と「退屈」です。新聞を読んで、散歩して、昼寝して、晩酌して、テレビを見ながら寝る――。一見、自由で穏やかな老後の生活に見えますが、脳にとっては刺激の少ない日常にすぎません。
単調な生活が続くと、脳が活性化する機会が減り、物忘れが進むのは当然の結果といえます。脳を若々しく保つために最も重要なのは、「新奇体験」です。新しい刺激や体験は、心地よさや意欲に関わる神経伝達物質であるドーパミンの分泌を促し、脳を若返らせる効果があります。
ところが現代では、新奇体験を得ることが意外に難しくなっています。加齢とともに外出や交流の機会が減り、人との関わりが少なくなるほど、脳に入ってくる刺激は限られてしまいます。そんななかで、スマホこそが、高齢者にとって誰にでも手に入れられる“強い新奇体験”になりえます。
ーースマホが「新奇体験」になるのですか。
内野:私たち現役世代からすれば、スマホは日常の一部であり、もはや当たり前の存在です。しかし、高齢者にとってはいまだに「難しい」「怖い」などと敬遠されがち。だからこそ「新奇の体験」になりえるのです。
スマホの最大の価値は、「検索できること」です。加齢によって脳は「荷物でいっぱいの物置」のようになります。そこで、スマホを“外付けの記憶装置”として使えば、情報をすべて脳内に保持しておく必要はありません。ど忘れしたことも、検索やカメラ、メモ機能を使えばすぐに補えるのです。
◆認知症治療に必要なのは薬ではなく「予防」

ーー認知症の診療現場で感じてきたことがあればお聞かせください。
内野:認知症は、年齢とともに発症率が高まる病気です。テレビや新聞でも頻繁に取り上げられるようになり、「最近、物忘れが増えてきた」「もしかしたら認知症かもしれない」と不安を抱えて受診される方が、毎日のようにいらっしゃいます。
ーー認知症は早期発見が大切だと言われますから、「物忘れが増えた」と心配して病院を受診するのは、むしろ良いことのようにも思えます。
内野:たしかに認知症の治療においては、早期診断と予防が何よりも重要です。ところが、「認知症かもしれない」とあれほど恐れていたにもかかわらず、いざ予防の話になると、途端に実践してくださらない方が少なくありません。その理由が、高齢の患者さんからよく聞く、「認知症になったら、薬を出してください」という一言に集約されていると思います。
ーー薬に頼れば治ると思っている方が多いと。
内野:これもよくある誤解です。多くの認知症は一度発症すれば、完全に元の状態に戻すための治療法が確立されていません。現在使われている治療薬は、神経伝達を一時的に補う補助的な手段にすぎず、病気の進行を根本的に止めることはできないのです。だからこそ、予防となる生活習慣の改善が大切になります。
私は、認知症を発症するとどのような変化が起こるのか、そしてご家族がどれほど大変な思いをされるのかを、日々の診療の中で痛感しています。そのため、できる限り懇切丁寧に説明を尽くします。それでも、聞く耳を持ってくださらない方には、「頭がよくなる薬はありません」などと厳しい言葉を使うこともあります。
ーー相当お怒りになるんじゃないですか……?
内野:もちろん本心ではありませんし、ちゃんと理由があります。人は年齢を重ねて脳が萎縮してくると、大脳の働きが弱まり、相対的に「大脳辺縁系」と呼ばれる、本能的で原始的な感情を司る部分の活動が強くなります。つまり、高齢になるほど「怒り」の感情が前に出やすくなるんです。だから、私はあえてその感情に訴えて発破をかけるようにしています。「若造にこんなことを言われて腹が立つでしょう。だったら、しっかり予防していきましょう」と。

