
◆過酷すぎるブレイク前の芸人仕事
自身の芸人としてのスタートは福岡の芸能事務所だったが、約3年在籍した後に退所して上京。その後、別の事務所に移籍したが、芸人としての仕事はまったくなし。そんな中、ようやく入った上京後初のテレビの仕事。待ち望んだ待望のオファーだったが、フタを開けてみると、芸能人生で最悪と言えるほど、とんでもないブラック仕事だった。
当時は『進め!電波少年』(日本テレビ系)などの大ヒットで、何も知らないままタレントを現場に連れて行くという手法のロケが流行った時代。事前にスタッフからは「高いところは苦手?」などの質問があったそうだ。
実はそのロケ、建設現場の足場などを組む会社にとび職の見習いとして送り込まれるロケだったのだ。それも1日や数日なんて生易しいものではなく、なんと2ヶ月もの長期に及んだ。
「言われた通りに指定された場所に行ったのに、遅刻したと怒られる。番組のコンセプトとしては『だらけた生活を直して売れっ子になる』みたいなことがしたかったようで……。仮に過酷だとしても、テレビに出られることが嬉しかったです。
ただ、そう思ったのも最初だけ。そこでの生活はひどかったんですよね。ガチでとび職をやらされるわけで、周りの連中はヤンキー上がり。ガラが悪いんですよ。ずっとカメラが密着していたらいいですけど、番組スタッフは2ヶ月の間で5回しか来なかったですね」
◆怖すぎて「逃げるという発想がなかった」
会社に独立した社員寮はなく、社長の自宅でほかの従業員たちと住み込み。また、その家は気性の悪そうな土佐犬を6匹も飼っていた。小屋の掃除や散歩、エサの準備はすべてヒロシ氏の担当だった。ちなみに猫は好きで、現在も2匹の猫と暮らしているが、犬は昔から苦手。オーディションでもそう答えたが、そこはひと昔前のテレビの世界。怯えながら世話をする画が欲しいと思われてまったのかもしれない。
「そこにいる人たち全員が怖いんですよ。それに現場に行く前にやらなきゃいけないから、朝5時くらいに起きて始めるんですけど、冬だったから寒いし。それに日曜も休みにならず、とび職とは関係ない正月用の門松を作る仕事をさせられて……。今の俺だったら余裕で逃げますが、あのときは怖すぎて逃げるという発想がなかった。それをやったら何されるかわかんない、っていうぐらいの恐怖だったんですよ。実際、カメラが来てない時にマジでひどい目に遭ってるから」
それ以上は言葉を濁したが、ヒロシ氏はキャラではなく本当に人見知り。そんな孤立した環境で2ヶ月も生活するのは、彼でなくても簡単なことではないだろう。

