自ら月代(さかやき)を剃り、丁髷(ちょんまげ)を結って高座に上がる異色の噺家がいる。芸歴25年を迎えた今年、約1か月をかけて東海道の宿場町を歩きながら、一宿一席の落語会を開くという挑戦をした。すべては「バズりたいから」。果たしてその先にあったのは──

◆ちょんまげ落語家、東海道をゆく!
──兄さん、東海道五十三次の旅、そして今日の会も、おつかれさまでした(インタビューは、関内ホールで開催された志の八・志の春二人会直後)。「落語の登場人物と同じ髪形にしたら面白いのでは」と丁髷にしたきっかけを語っていましたが、お客さんの反応ってどうですか。志の八:たとえば、今日かけた「二番煎じ」や「時そば」なんかは、「髷のおかげで話がすっと入ってきます」と言われるよ。でも、古典なんだけど時代背景が昭和初期のネタとかはやりにくいかも。
──どうやりにくいんです?
志の八:たとえば「学校」「鉛筆」なんて単語が噺に出てくると、丁髷のせいで江戸時代の噺をかけてると思い込んでるお客さんが「あれ、この時代にあったっけ?」と一瞬つまずくのがわかる。だから「寺子屋」とか「墨」とかに直してやってる。
──なるほどね。僕がピンクの髪にしたのは、お客さんの想像に揺さぶりをかけたかったから。落語って、言葉だけで想像させる芸じゃないですか。男が女を演じたって、誰も文句を言わない。だったら派手な髪でもいいじゃん、という実験だったんです。方向性は違えど“観客の想像力を意識している”という点では似てますね。
志の八:噺に入ってもらえれば、想像力が走りだすから、見た目はそこまで関係ないんだよね。なんといったって(※3)家元はセキセイインコみたいな色の頭してバンダナしながら高座に上がってたんだから。
◆東海道を500㎞歩いて、増えたフォロワー数は200人
──髷を結うようになってから、高座以外で周囲の態度に変化はありましたか?志の八:それがないんだよ。高座だと武器になるけど、街中ではあまり効果なし(笑)。
──浅草なんか歩いたら、外国人に囲まれそうですけどね。
志の八:俺もそう思ってた。インバウンドの人たちの前に丁髷男が現れたら、サファリパークのライオンに肉を投げ入れたようなもんでしょう。皆さんスッと目をそらします。「関わらないほうがいい」と思ってるんだね(笑)。でも三社祭で全身に入れ墨の入った担ぎ手に「それ地毛ですか?」って聞かれたことがあって。ハイって言ったら「すげえ!」って、いやいやアナタのほうがすごいだろって。この間なんてスーパー銭湯行ったら、若い2人組がずっと見てんだよ。聞こえてきた会話が「あれぜってぇ(※4)丁髷でトイレのスッポンを頭につけてるTikTokerだよ」って。「ふざけんな、こっちは話芸一筋だよ。志の輔一門の真打だぞ」と思ったけど、後で「丁髷、スッポン」で調べたらその人は400万人もフォロワーがいました。

志の八:うるさいよ。伸びしろだよ、伸びしろ。
──「東海道五十三次を落語しながら旅しよう」と最初に思いついたのは、いつでしたか。
志の八:コロナ禍で、本当に軽い思いつきで丁髷にしたんだけど、「この頭で東海道歩いたら絶対面白いよな」とはその時から思ってた。本当にやるハメになるとは思わなかったけど。当初はバズらせたいって強く思ってたわけじゃないんだけど、想像以上に全くバズらなかったので、このままでいいのか?「このままだったら自然にハゲて何も残らない」と焦ってさ。そんな時に師匠から「せっかく丁髷にしたのに何かしないのか?」って聞かれて、「実は東海道五十三次を歩いて落語をしていきたいと思ってるんです」「それは面白い、絶対にやったほうがいい」という流れだね。
──同じタイミングで、(※5)彬子女王殿下も背中を押してくださったと聞きましたよ。あのような高貴な方といつから親交があったんです?
志の八:4年前くらいかな。彬子さまは日本の伝統文化や芸能を子どもたちに伝える活動をされていて、落語がテーマの時があったんだよ。その時に共通の知り合いを通じてオファーをいただいたのがきっかけです。

