
階段を上がり、木のドアを開ける。
ベルが鳴って、ママが迎えてくれる。
岡山市の純喫茶、『ダンケ』。
いつも通り、ジャズが空間を満たしている。
窓際の席を目指す。空いていたら、幸運な日。

ダークグリーンの艶々したシート。今日は角の1番好きな席が空いてる。
街を見下ろせる、特等席。やった!
「はいはい、ホット?」と聞いてくれるママに、今日は紅茶をお願いする。
「はいはい、了解」。
明瞭な声を響かせながら、ママはきびきびと、カウンターに戻っていく。

窓際の席でスポーツウェアを着た女性が、ずっと熱心に手紙のようなものを書いていて、
シニア世代の3名は、記憶力に効く食べ物の話をしている。
ママはそれぞれに少しずつ声をかけ、あとは放っておく。
今年、大病を患った彼女。多くの人が心配したけれど、今はしゃきっと復活して、店を明るく切り盛りしている。
毎日店を開けるって、簡単なことじゃないだろう。
でも、そんなそぶりをまったく見せない。
「もうしゃきっとしとんのよ」と、みんなに自慢してる。
それにしても、塵ひとつないな。
あるとき、パリジャンみたいな小粋な男性が現れた。
この店を設計した方だと、ママが紹介してくれる。


店に飾られている、いくつかの絵画も彼の作品だそう。
ずっと変わらず、そこにある『ダンケ』。
ママに何年やっているの? と聞いたら、
「信じられんほど長すぎて、恥ずかしいから教えんわ」と笑われた。
この空間を、多くの人が行き交ってきた気配がある。
最近は、喫茶店が好きな若いお客さんも増えた。
その中に、前述したようなエレガントで粋な長年の常連さんもお見かけする。
近寄ってきて水を注ぎ足してくれたママは、「ごゆっくり」と踵を返し、
お客さんの隣に座り、おしゃべりを始めた。
忙しいときはカウンターの向こう側にいるけれど、
ゆっくりしているときは、客との境界線が曖昧になる。
でも、いつまでも居座ったりせず、ほどよく切り上げちゃう。
その呼吸が絶妙だなと、いつも感心して見ている。
ドアのベルがふたたび鳴り、「ひさしぶり」とまたお客さんが現れた。
「げんき?」「げんきよ」
ママと彼女は肩を叩き合う。
わたしが70代になったとき、
近所にこんなお店があったらいいなと、つくづく思う。
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写真家 中川 正子

なかがわ・まさこ/神奈川・横浜生まれ、千葉・船橋育ち。2011年に東京から岡山へ拠点を移す。雑誌、書籍など様々な媒体で活動し、写真集も多数出版。近年は執筆も行う。はじめてのエッセイ集『みずのした』(くも3)を2024年に発表。

