
年収1,000万円超のエリートでも、生活水準の高さゆえに手元の現金がない――。そんな「高所得貧乏」の焦りが、理性のタガを外してしまうことがあります。目の前に落ちている「確実に儲かる情報」。ほんの出来心で拾ったその“当たりくじ”が、築き上げた人生すべてを吹き飛ばす爆弾だったとしたら……。FP相談ねっと・認定FPの小川洋平氏が佐伯さん(仮名)の事例を紹介。誰の心にも潜む「魔が差す瞬間」の恐怖と、その末路をみていきましょう。※本記事は実話をベースに構成していますが、プライバシー保護のため、個人名や団体名、具体的な状況の一部を変更しています。
エリート街道を歩いていたメガバンカーの転落
佐伯隆さん(仮名/65歳)は、かつてメガバンクで働くエリート行員でした。
大学卒業後、22歳で銀行に入行。同期のなかでも頭ひとつ抜けた成績を残し、40代で次長、50代で支店長に就任しました。年収は1,500万円に到達。「このまま役員まで行くのでは」と周囲からも期待されていたほどです。
しかし、その内実は「火の車」でした。 都内一等地のマンションのローン、妻の派手な交際費、そして私立大学に通う2人の息子の高額な学費と留学費用。 額面の年収は高くても、税金や社会保険料を引かれ、高い生活水準を維持するための出費がかさみ、手元に残る現金は驚くほど少なかったのです。
「俺はこれだけ稼いでいるのに、なぜいつも金がないんだ……」通帳の残高を、みるたび、佐伯さんは焦りと不満を募らせていました。
そんなときでした。部下が担当していた企業「A社」の融資に関する話を聞いたのは――。
「A社が、B社のTOBを考えているらしい」
この未公表の情報を手に入れたとき、佐伯さんに人生を破滅させる悪魔がささやいたのでした。
「魔が差してしまった」
佐伯さんの頭には、思わずある計算が浮かびました。
「B社はTOBで買い付けられる。公開買付け価格は通常、いまの株価より高く設定される……。つまり、買えば100%勝てる」
TOB(Take Over Bid:株式公開買付け)とは、ある企業が別の企業を買収するため、市場外で特定の価格を提示して株式を買い集めること。TOB価格は市場価格より高くなるのが一般的で、発表後には株価が急騰しやすくなります。
佐伯さんは迷いました。しかし、その迷いは「倫理観」を超えた「バレない方法」。
「自分の名義はまずい。でも、親の休眠口座を使えば……」
さらに、彼の背中を押したのは、プロとしての「慢心」でした。
(億単位の取引なら目立つが、たかが数千万円の取引、数百万円の利益だ。市場のノイズに紛れて、当局もいちいち調べないだろう)
苦労して貯めた虎の子の定期預金2,000万円。しかし、この情報を使えば、ほんの数日で400万円、つまり年収の3分の1近い現金が手に入るのです。
生活費への焦りと、歪んだ特権意識が、理性のタガを外してしまいました。 佐伯さんは自分の預金2,000万円を使って、母親の証券口座でB社の株式を購入してしまったのです。
「たった400万円」のために…
予想どおりTOBが発表され、株価は急騰しました。
「うまくやった」佐伯さんはそう思い込んでいました。
しかし、証券取引等監視委員会の監視網は、不自然なタイミングでの売買を機械的に検知します。管理職の銀行員であれば当然知っているはずであろうことでも、目先のお金に目がくらみ、道を踏み外してしまったのです。
ある日、佐伯さんのもとに証券取引等監視委員会(SESC)の調査官が訪れました。母の口座を使った取引履歴、アクセスログ、そして佐伯さんが行内で情報に触れた時間。すべての証拠は揃っていました。
