離婚協議で直面した「生活レベル」の壁
「離婚しましょう」
スズカさんは離婚を切り出しました。エイタさんも同意し、マンションの査定を取ります。幸い、マンションの価格は、高騰しています。売却後、仲介手数料や短期譲渡所得税(約40%)などを引くと、手元に残るのは約1,000万円。2人でわければ500万円ずつ。一見、円満な解決策にみえました。
しかし、そこで2人は「ペアローン」の本当の恐ろしさを思い知ることになります。
スズカさんは当初、「夫に出て行ってもらい、自分が住み続ける」ことを希望しました。そのためには、夫名義のローンを自分が引き受け、一本化する必要があります。しかし、銀行の回答は非情でした。
「スズカ様の年収(900万円)では、残債の借換え審査は通りません」
ペアローンは「二人の年収」があって初めて成立する融資であり、どちらか一人の年収では支えきれないのです。
「なら俺が出ていく」 とエイタさんはいいましたが、これも銀行員に止められました。ペアローンはお互いが「連帯保証人」。もしエイタさんが別居先で、新居の家賃とローンの二重払いで生活が破綻し、支払いの滞納が続けば、銀行は夫の残債を連帯保証人であるスズカさんへ一括請求できる状態になります。
さらに、2人はお互いに、大きな懸念があったのです。それは、「売却後」の話でした。エイタさんは「500万円と俺の年収じゃ、同レベルのタワマンなんて絶対に買えない。築古の狭いマンションか、都落ちか……。商社マンとしての格が下がるのは耐えられない」と零します。
スズカさんは「このエリアはインターナショナルスクールも充実していて、子育て環境は最高。でも、シングルマザーになってここを出たら、もう二度とこの環境には戻ってこられない。子どもから『最高の教育』と『安全な暮らし』を奪うことになる」と危惧しています。
売れば、借金は残りません。しかし、パワーカップルだからこそ手に入れられた「特別な生活」は、消滅するのです。「感情」を取って生活レベルを劇的に下げるか、「損得」を取って汚れた家に住み続けるか。プライドの高い2人が選んだのは、後者でした。
「思い出の汚れた家」で結ばれた35年契約
数日後の深夜。 不動産屋からの査定書と、離婚協議書のドラフトが散らばるリビングテーブルを前に、スズカさんは深いため息をつきました。
(離婚して、家を売って、引っ越して、保活をして、養育費の取り決めをして……。そして、またいつか誰かを好きになって再婚? ……無理。もう、男なんてこりごり)
夫の裏切りで「恋愛」や「結婚」に絶望したスズカさん。また一から誰かと関係を築き、信頼し、そしてまた裏切られるかもしれないリスクを負うくらいなら、夫をATMとして割り切り、自分と子どもを守るほうがよほど合理的で安全ではないか。そう思えたのです。
一方のエイタさんも、疲弊していました。
「なんだよ。離婚届ならまだ書いてないぞ。……引っ越しの見積もりとか、ローンの手続きとか、財産分与の計算とか考えるだけで頭が痛いんだ」
エイタさんは投げやりにいいました「離婚って、結婚の何倍もエネルギーがいるっていうだろ? 仕事も忙しいのに、これ以上プライベートで揉めるのは正直、面倒くさい。君がこのままここに住みたいなら、俺はそれでもいい」。
2人の利害は、最もネガティブな形で一致しました。
