ハリウッドを魅了した黄金比の靴
靴は、ただ歩くための道具ではない。その人のスタイルや個性を映し出すと同時に、着こなしを引き立て、装いに品格を添える存在でもある。イタリア南部のボニートに生まれ、11歳で靴職人の道へ。16歳で渡米し、のちに“ハリウッドスターの靴職人”と称されることになるサルヴァトーレ・フェラガモは、研ぎ澄まされた美意識に、人体解剖学といった科学的アプローチを加味し、完璧な履き心地と美しさを兼ね備えた靴を生み出した。グレタ・ガルボやマリリン・モンローをも顧客に持ち、1927年にはフィレンツェに工房を構え、本格的にブランドとしての道を歩みだす。生涯で360以上のデザイン特許を取得したという事実が、彼の情熱と革新性をなによりも物語っている。

Courtesy of Ferragamo Museum


「フェラガモ」を進化させた家族の力
サルヴァトーレの逝去後、ブランドを託されたのは、妻・ワンダだった。保守的な時代において女性が経営の舵をとることは異例のことだったが、彼女は見事な手腕で事業を拡大。婦人靴中心だったブランドを、トータルラグジュアリーメゾンへと成長させ、その姿は、女性の社会進出の象徴として、同時代の多くの人から尊敬を集めた。そんなワンダを支えたのが、彼女の子どもたちだ。長女フィアンマが生みだした「ヴァラ」は、今も変わらぬ人気を誇る「フェラガモ」のアイコンシューズに。長男フェルッチオは、トスカーナの村を再興し、サステナブルなワイナリーリゾートを創設。次男のレオナルドは、現会長としてブランドの現在と未来を力強く牽引(けんいん)している。創業者サルヴァトーレのクラフツマンシップの美学、ワンダが体現した女性の可能性──それらの精神を受け継ぎながら、ファミリーの結束と伝統の継承を支柱に、「フェラガモ」は今もその核を揺るぎなく保ち続けている。

