◆一つの能力では生き残れない現代
![新たな生きづらさ 男に広まる[弱者感]](https://assets.mama.aacdn.jp/contents/210/2025/11/1764228966262_bc889rj6v7q.jpg?maxwidth=800)
「昔のアメコミヒーローのように、単に強いだけのキャラはもういません。強さは絶対にありつつも、それに加えてコミュニケーション能力や共感力が求められるし、そのモラルの有無が問題視される。現実世界も同じで、そういった能力を得られる人と得られない人の分断がすごく強まっていて、得られない人は弱者という意識を強めてしまう」
また、「弱い男性像」自体を描く表現も増えている。これは、日本に限らず海外でも見られる傾向だ。
「映画『ジョーカー』が社会的弱者を描いて世界中で共感を呼んだのは周知のとおりですが、最近のヒット作『ワン・バトル・アフター・アナザー』も興味深い。本作の主人公はかつて過激な左派運動で活躍した男性で、因縁のある警察・軍隊側ライバルに娘が捕まって助けに行く話なのですが、最終的に娘が自力で問題を解決しちゃうんです。
『父親ぶろうとするけど何もできない男性性』みたいな姿をシニカルに表現して、『男にできることは何もない』というようなメッセージを発している映画ですよね。それがアメリカで大ヒットしています」
◆広告表現も男性像が描かれている
時代にマッチした男性像を描いているのは、広告表現も同様だ。しかし、「広告の場合は、“こうあるべきだ”という理想の姿を描く一方、そこから外れる男性を無言で排除する構造があります」と分析するのは、CMやポスターを研究する作家の小林美香氏だ。ときにそれは、男性への“見えない圧力”になるという。「広告は男性の成功経験や、理想のイメージを集中投下していくので、弱者や衰え、弱さを極力排除するというのが前提になっています。裏を返せば、広告の反対側にある人たちは弱者ということになってしまう。
例えば都市部での生活が成功者の証しのようにタワマンを背景にした不動産広告、『筋肉は一生ものの服』と鍛錬を美徳化するジムの広告、『髪を、鍛えろ』といったAGA治療の広告……。これらは努力すれば他の男性より“格上”になれると煽りつつ、特定集団へ組み込もうと促す構造になっています」

