◆DHを打つのはこんな選手たち
パ・リーグがDH制を実施したのは、1969年から1971年にかけて起きた「黒い霧事件」に端を発する。未曽有のスキャンダルにより、もともと少なかったのに拍車をかけて、観客動員数が減少の一途をたどってしまった。そこで、人気の低迷に歯止めをかける策として導入された経緯がある。それから50年が経ったタイミングで、セでも導入する流れになったわけだ。
だが、勘違いしてはいけないのは、「打力だけ優れた選手」がドラフトで指名されるとは限らないということ。
野球は、「投げる、打つ、守る、走る」の4要素を必要とする。打力に特化していたとして、「投げられない、守れない、走れない」選手に対して、プロのスカウトが興味を持つとは考えづらい。
たとえばこれまでのパ・リーグの本塁打王を見てほしい。もちろん打力に突出した選手が獲得している例はあるが、それはあくまで外国人選手や、門田博光や山﨑武司のような選手だ。彼らの場合は、ベテランになって守備と走塁の力が衰えてきたからDHになった……そんな背景がある。
若いときに「DHだけに専念した打者」が、本塁打のタイトルを獲った例はこれまでに1度もない。ということは、スカウトの基準はこれまでと変わらないのではないか。
◆「第二の大谷翔平」は生まれなくなる?

それは、「大谷翔平のような二刀流の選手が生まれなくなるんじゃないか」ということだ。
先述したとおり、打てるだけの高校生をプロが獲得することはあり得ない。いくら高校時代に卓越した成績を残したといっても、たかが知れている。プロの世界はそう甘くない。通用しなかった時点ですぐにお払い箱になるのが関の山だ。万が一、育成枠での指名はあるかもしれないが、それとて試験的な意味合いが色濃い。即戦力としては見ていないと考えるのが普通だろう。
大谷は、高校時代から投打において並外れた才能を存分に見せつけていた。両方の能力を開花させたいと考えたからこそ、日本ハムは前代未聞の二刀流起用を提案したわけだ。大谷もその提案を素直に受け入れ、プロの世界に足を踏み入れた。
今や大谷の二刀流が当たり前のものとなりつつあるが、彼のようにマルチな才能を持った選手は、今後見出されにくくなるのではないだろうか。
<談/江本孟紀>
【江本孟紀】
1947年高知県生まれ。高知商業高校、法政大学、熊谷組(社会人野球)を経て、71年東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)入団。その年、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)移籍、76年阪神タイガースに移籍し、81年現役引退。プロ通算成績は113勝126敗19セーブ。防御率3.52、開幕投手6回、オールスター選出5回、ボーク日本記録。92年参議院議員初当選。2001年1月参議院初代内閣委員長就任。2期12年務め、04年参議院議員離職。現在はサンケイスポーツ、フジテレビ、ニッポン放送を中心にプロ野球解説者として活動。2017年秋の叙勲で旭日中綬章受章。アメリカ独立リーグ初の日本人チーム・サムライベアーズ副コミッショナー・総監督、クラブチーム・京都ファイアーバーズを立ち上げ総監督、タイ王国ナショナルベースボールチーム総監督として北京五輪アジア予選出場など球界の底辺拡大・発展に努めてきた。ベストセラーとなった『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(ベストセラーズ)、『阪神タイガースぶっちゃけ話』(清談社Publico)をはじめ著書は80冊を超える。

