◆なぜ日本では「ガバナンス」にそれほど需要がないのか?

しかし、このような仕事は日本では需要が低めだ。なぜなら、日本では「システム開発や運用はちゃんとやって当たり前」ということが常識になっているので、いちいち目標値を設定してそれが達成されたかどうか細かく見る必要がないのである。
そして、システム関係者が不正をすることも非常に稀なので、人員を監視するようなシステムを入れる必要がない。
ところが、特に途上国や旧共産圏では不正をやるのが当たり前であり、雇用契約を無視して仕事をしなかったり、職場の情報や備品を盗み出すということが本当に当たり前なので、目標などは非常に細かく設定し、ペナルティーも相当厳しくして刑事罰に問われることを常に提示し、定期的に監視をしないと仕事が進まない。
残念ながら、働いている人々を信用できないのである。
一方、これと同じことを日本の組織でやろうとすると「働く人を信用してないんですか?」と言われてしまい、大騒動になるのである。
したがって、日本でしか経験のない人々が海外、特に途上国や独裁国などで管理監督業務をやろうとすると、日本のやり方を当てはめてしまうので大失敗することが多い。
◆日本は社会運用に関しては低コスト社会
そしてもちろん、このような管理監督をしなければならない場合は、大変なコストがかかる。経験を積んだ人間を雇わなければ管理する仕組みも設計できないし、現地の雇用法や規制と照らし合わせたりしなければならない。細かいルールをすべて文書化して、それを説明し、理解してもらえるようトレーニングを行うのも大変な手間がかかる。しかも、言語が通じなければ、逐一現地語に翻訳しなければならない。その上、いちいち手動で管理するわけにもいかないので、システムを導入して自動的に監視するような仕組みにしなければならない。
そのようなシステムは市販のものもあるが、組織に導入する場合はプロセスをすべて見直さなければならない。
仮に1からシステムを作る場合は、関係者すべてに調整が必要になるし、どのようなシステムを作ってどのように使うかといったところから詰めていかなければならないので、数年単位の仕事になってしまうのである。
その他にも、物理的な管理監督業務を行うためのインフラも必要になる。例えば監視カメラの設置や入退室ゲートの設置、 その運用や管理にも莫大な費用がかかる。
ところが、日本ではこのような業務はあまり必要がない。もちろん製造業を中心にこういった管理監督業務というのは存在しているが、他の国に比べると少ないのである。
つまり、「高信頼型社会(high-trust society)」では、リスクを防ぐための管理監督業務の手間暇やコストがかからないので、その分のリソースを本業に回せるということになるのだ。
日本が実は社会運用に関しては低コスト社会であるのは、「高信頼型社会(high-trust society)」であるからだ。
前述した管理監督のコストもないし、不正もそれほど多くないからその調査や訴訟などの手間暇や費用もない。しかも、言語も日本語話者が大多数であるので、コミュニケーションのコストも大変低いのである。
では、こうした高信頼型社会と正反対の低信頼型社会が交わるとどうなるのか? また改めてお伝えしたい。
<文/谷本真由美>
―[世界と比較する日本の保守化]―
【谷本真由美】
1975年、神奈川県生まれ。ITベンチャー、コンサルティングファーム、国連専門機関、外資系金融会社を経て、現在はロンドン在住。日本、イギリス、アメリカ、イタリアなど世界各国での就労経験がある。主な著書に『世界のニュースを日本人はなにも知らない』(ワニブックス)、『激安ニッポン』(マガジンハウス)など。Xアカウント:@May_Roma

