港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。
女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。
タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。
▶前回:「仕事か恋愛か」どちらを取るかを迫られ、迷いなく仕事を選んだ女。10年後…
「…ルビー…お前、オレをだました、ってことか?」
定休日だったBar・Sneetを開けて、ルビー“だけ”を待っていたはずのミチは、ルビーと共にともみも、さらにメグまで登場したことで、唸るような声で凄んだが、ルビーは全く怯える様子はない。
「だって、ミチさん、メグさんもいるって言ったら、絶対に来てくれなかったでしょ?」とむしろ作戦がうまく行ったことを褒めろとばかりに誇らしげにメグの肩を引き寄せ、「ねえ?」と同意を求めた。
「ミチ、ごめん…」
メグが呟くように謝ると、ミチは小さなため息をついたあと、何か飲むかと全員に聞いた。騙して呼び出した挙句、休みの日に仕事をさせるのは申し訳ないと、ともみはBar・TOUGH COOKIESでメグが開けてくれ、半分ほどが残っていたリースリングのボトルと、さらにもう一本赤ワインを持参してきたことを伝えて、グラスを4脚用意する。
1時間ほど前。TOUGH COOKIESから光江が帰ったあと、ルビーは携帯を取り出し、何かが憑依したような迫真の演技で、ミチを呼び出すことに成功した。「ともみさんと大げんかをして、めちゃくちゃ怒らせちゃったんだけど、どうしたらいい?」と涙ながらに(電話なのに本当に涙を流していた)ミチに電話をかけ、今から話を聞いて欲しいと懇願したのだ。
「女優になったら?」と驚き呆れたともみに、てへっと舌を出したルビーにまんまと騙されたミチは、夕食を食べていないから食べながらでいいかと提案したらしい。場所を選ぶ話になりそうだと気にしたルビーが、何か買っていくからSneetではダメかと聞くと、ミチがあっさりと承諾した。
― ミチさんって、本当に優しいんだよなぁ。
まだ少し残っていた稲荷寿司を抱え、西麻布の交差点近くのトルコ料理店でケバブをテイクアウトしてから、Sneetに向かった3人よりも、到着が早かった。
Sneetから10分程のところに住んでいるミチは、ルビーを心配して急いだのだろう。いつも、ルビーは騒がしくて苦手だと言っているくせに、今だってこれ以上責めようとしていない。「ミチはどこまでもギバー(Giver)だ」と言った光江を思い出した。
「まず、先に食べてからでいいか?」
食べながら話すことでもなさそうだと、ミチは大きな口でケバブにかぶりついた。稲荷寿司との食い合わせが悪すぎない?と、ケバブを買うといったルビーをともみは止めたけれど、「ミチさんのお気に入りだから」というのは本当だったらしい。
日本のケバブは鶏肉や牛肉を使う店も多いが、トルコの伝統にならったその店では、ラム肉を主流にした“本格的なケバブ”が食べられると人気で、何種ものスパイスで下味をつけたラム肉を、串に何枚も重ねて巻き付けて大きな塊にし、ゆっくりと回しながらじっくり炭火で焼く。
それを、注文を受けてからそぎ落とし、たっぷりの野菜と一緒に、焼きたてのピタパンに挟んで出してくれる。
ミチがもぐもぐと噛むたびに、スパイスやソースなのか食欲をそそる香りがふわっと流れる。かなりのボリュームに見えたケバブサンドを、何口かであっという間にたいらげると、ミチはギロリとルビーを睨んだ。
「で?」
6人掛けのソファー席。元恋人同士が向かい合い、メグの隣にルビー、ミチと並んでともみ。ルビーが仕切ったこの席の配置はナゾだ。
「4人で会う必要がある話なんだろうな?」
「もちろん。色々隠しても、ミチ兄(みちにい)にはバレちゃうと思うから、たんとーちょくにゅーってヤツで聞きますけど」
「お前の単刀直入はイヤな予感しかしないな」
「今もメグさんのこと、好きなの?」
単刀直入を超え過ぎた剛速球が放たれ、メグも、そしてともみも固まり、ミチは、「な…」と、口をパクパクとした。そんなミチを見たのは初めてだと、ルビーだけがきゃっきゃとはしゃぐ。
「そんなに慌ててるのは、まだ好きだってことで正解?」
「る、ルビーちゃん」
メグの遠慮がちな静止を全く気にせず、ルビーは続けた。
「たぶん、メグちゃんは今も大好きなんですよね、ミチ兄のことが」
「…」
「ルビー、なんでそんなことをお前が聞く?しかもこの話題を今、4人で話す必要があるか?他人の事情を踏み荒らすようなまね、趣味悪いぞ」
非難を含んだ低い声に、ルビーが「だよねぇ~私も他人の恋愛に割りこむなんてイヤなんだけどさぁ」と笑いながら答えた。
「みんなで闘わなきゃ、光江さんには勝てないっしょ」
「みんなで闘うって…ルビー、どこまでミチさんに話す気…?」
確かに光江はミチに話すなとは言わなかったが、今、全てを伝えてしまうことが得策なのかという迷いで、ともみは聞いた。
「でもともみさん、なんでわざわざ光江さんがうちらの前でメグさんを攻撃したのかってところにポイントがある気がしない?」
「…ちょっと待て、ボスがTOUGH COOKIESに?メグも一緒に?」
ルビーは、ミチに頷いてから続けた。
「ともみさんもアタシも、なんかモヤモヤはしたわけじゃん?今日の光江さんって、光江さんらしくないなぁって」
「まあ…それはそうだけど」
「西麻布の女帝っていっても、一応は人間なんだし、光江さんにとってミチ兄は特別なオンリーワンだもん。だからミチ兄のことだけは、つい感情的になるとか、甘えてばっかりいるんじゃねぇよ、ってメグさんに言いたくなるのも、わからなくないよ。でもさ」
どういうことだと、眉をひそめたミチに、なぜかともみが謝りたい気分になった。
「メグさんが今何より欲しいものをちらつかせてさ。その情報が欲しいならミチを手放せ、もう2度と会うなとか。しかもミチさんのいないところで言うなんて、韓国のドラマに出てくる金持ちのイヤミなマダムって感じじゃん。
よくあるでしょ、息子の恋人が気に入らなくて、金はいくらでも渡すからウチの子と手を切りなさい!ってヤツ。そんな小物っぽいこと、光江さんがするかなぁ」
そのルビーの言葉に、記憶ボタンのスイッチを押されたかのように、ともみは突然思い出した。メグのTOUGH COOKIESへの来店予約をしたのは光江だ。そして確かその時。
「メグの本心を聞いてやってくれないか」
と言っていたのではなかったか。蘇った記憶にルビーの言葉が重なっていく。
「ともみさんとアタシが感じてた今日の光江さんが光江さんらしくなかった気持ち悪さを、光江さんの話の内容じゃなくて――なんで、その話をうちらの前でする必要があったのかってことの方を中心に考えてみたら、なんかしっくりくるんだよね。
光江さんは、ともみさんとアタシ…っていうかTOUGH COOKIESをテストしてたんじゃないかなって」
「うちの店を…テスト?」
「うん。うちの店のコンセプト的なこと?ともみさんとアタシが、それをどこまでできるようになってるのかってことを今日、確認しにきた、的な?」
そう言われて、ともみは店のHPに書かれている言葉を、久しぶりに思い出した。
踏み出す勇気。そして決断。それらを促すために作られたのが、BAR・TOUGH COOKIESだということ。
「さっき、光江さんに試されてる気がするって思ったけど…試されてるのはメグさんじゃなくてアタシたちだったんじゃないかな。つまり、TOUGH COOKIESの店員として、今のメグさんのために何ができるのかってことが試されてる。そのために光江さんが意地悪BBAを演じたんじゃない?」
もちろんメグさんとミチさんのことを本気で心配してるってことは前提でね、とルビーは続けた。
「今日、メグさんの話を聞いて思ったのは、メグさんがミチさんへの罪悪感に縛られて、本音をミチさんにぶつけられてない。自分が本当はどうしたいのか、自分でもわからなくなっちゃってる感じがするってこと」
沈黙で答えるように、メグがうつむくと、ルビーはミチに視線を移した。
「それはミチ兄も一緒で。ミチ兄は…メグさんの幸せのためなら自分の気持ちなんか簡単に隠せてしまう。そんな風に2人ともが自分の気持ちを隠し続けてるから、もう2人だけだと、どんどんこじれてるばっかりだって思ったんじゃないかな。
だから光江さんはわざと、アタシたちの前であんなに意地悪な言い方をした。私たちを2人に介入させるためにね。で、まんまと、ともみさんもアタシも、メグさんを庇って、今、ミチさんとの対面までセッティングしている。結局、今、この瞬間までが、ぜーんぶ作戦だったのかもと考えると、ほんっと女帝って恐ろしいよねぇ」
ケタケタと声を上げたルビーの屈託のない笑みが、とても大人びて見える。いや、本当はともみも、随分前から気づいてはいたはずだった。ルビーは、その無邪気さや突拍子のない言動の奥には、物事や人の真ん中を捉えることができる鋭さがあり、自分よりもよっぽど大人だということを。
「…お前、いつから…そんなにお節介になった?」
驚きに揺れたミチの質問に、「ともみさんに教わったんですよ」とルビーは軽やかに答えた。
「え?」
不意打ちされたともみが固まると、ルビーが笑顔を大きくする。
「他人の人生は他人の人生、って感じじゃなくて、それは今言わなくてもいいんじゃない?ってことまで、ともみさんはどんどん入り込んでいくんですよ。時々怒っちゃうこともあるし不器用だけど、来るお客さんにとことんつき合える人なんです。
ともみさんのスタイルこそが、TOUGH COOKIESってお店そのものなんだなって」
だから、と言葉を切ったルビーが、メグとミチに視線を送った。
「お2人にも、そのともみさんの前で、きっちり話し合ってもらいます。私も逃がさないから覚悟してね」
にやりと唇の端を上げたルビーに、ともみの胸がドクンと強く波打った。そして、見たこともないはずの、光江の若かりし頃の面影が、なぜかルビーに重なっていく。
― ああだから、ルビーには敵わないのか、な。
胸にこみあげたざわつきの正体に、ともみは覚えがあった。それは…芸能界で何度も経験した、どんなに努力しても届かない天性の才能や存在感を目の当たりにした時の敗北感だ。
「じゃあともみさん、進行よろしく、です!」
はりきったルビーの声にともみはハッとし、既視感のある苦い感覚を打ち消すと、平静を装い話し始めた。
▶前回:「仕事か恋愛か」どちらを取るかを迫られ、迷いなく仕事を選んだ女。10年後…
▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱
▶NEXT:11月18日 火曜更新予定

